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期待されていない誠実な回答
「少し前のことなんだけど、とある香料メーカーでこんな計画があったらしい」
調香師Jean-Michel Duriezはそんな話をはじめた。
「ちょうどうまく使えていないスペースがあって、そこにフリーの調香師のコワーキングスペース的なものを作ろうとしていたんだ。フリーで活動している調香師も徐々に増えてきたから、そういう人たちと緩く繋がっておけば、香料メーカー的にはあまり儲けにならない小さなプロジェクトなんかをそこにいる調香師と共有できるから、お互いにとって悪い話ではなかったんだよ」
補足しておくと、調香師は香料メーカーに所属しているケースが多い。大手ブランドの香水というのも、そのほとんどは大手香料メーカー所属の調香師によって手がけられている。
話は続く。
「ただ結局、そのプロジェクトはかなり話が進んだところで立ち消えになったらしい。理由は単純にその使おうとしていたスペースの別の用途が見つかった、ということだったようだが、個人的にはそんなコワーキングスペースを作ることはあまりいいアイディアだとは思えないから、結果的によかったと思う」
その理由は?
「香料メーカーの調香師は日々さまざまなプレッシャーにさらされながら、たくさんのプロジェクトにまみれて、とても幸せとは言えないんだ。本当に、かわいそうなくらいだよ。それに比べてフリーの調香師は“自由”だからね。そんな自由に働く調香師の姿を見たら、きっと香料メーカーの調香師たちの不満は爆発してしまうよ。もちろん、前者の方が給料はいいし安定してるけどね」
なるほど、そうかもしれない。
「香水の仕事に関する話を聞きたい」と私のところに連絡をよこす人がちらほらいる。そういう連絡がきたら、とりあえず(メールの文面が相当怪しくない限りにおいて)会うようにしている。
会うようにしている理由は「私の知見が役に立つのならば」という社会奉仕的なものではなく、なんとなく興味があるから、という程度だ。どういう経緯を辿って私に連絡するにいたったのか、私には気になるところなのだ。会った結果、非常に嫌な思いをすることもたまにあるが、それは“織り込み済み”なので、会ってみて嫌な思いをしなければ私としては“御の字”、さらにその動機を聞くことができれば“儲け物”といったところだ。
そうやって話を聞きにくる人の少なくない割合が、「調香師になりたい」と口にする。どうやったらなれるのかわからないから、なり方を教えてほしい、というのだ。
この質問にどう答えるべきか、いつも結構迷う。というのも、調香師と一口に言ってもかなりのグラデーションがあるからだ。大手香料メーカーの調香師になって馬車馬の如く働くのか、それともただ調香師を名乗りたいだけなのか、それによって通るべき道は大きく違うのだ。前者であればヴェルサイユにあるISIPCAという学校を出て(語弊を恐れずにいうが、この学校一択である。他の学校を出て大手香料メーカーの調香師になれている例もなくはないが、可能性は大幅に狭まってしまう)、大手香料メーカーの研修生としてトレーニングを積む必要があるが、後者であれば別に今日からだって名乗れてしまう。それには特段資格が必要なわけではない。とりあえず香料を混ぜて“それらしきもの”を作ることを調香と呼ぶならば、誰だって今すぐに調香師になれるのだ。
そして、このふたつの間には当然あらゆる道がある。
だから一旦、「どのレベルの調香師をイメージしていますか?」と聞き返してみる。ただ名乗りたいだけ、という人には今まで出会ったことがない。たいていの人は大手香料メーカーの調香師かそれに準ずるものを想像している。そこで先述の通り調香師になるためのルートを示す。彼ら彼女らが一番のハードルに感じるのは渡仏であるようだ。「もし日本で勉強するとしたら?」とだいたい聞き返される。それに回答する。そこまでくると、その先どうするかは本人次第、という感じになる。
私はいつも、誠意を持ってこのやりとりをしている。つまり、不可能ではないが茨の道であることは確か、もしそれでも目指すとしたらこういうルートになる、ということを私なりに筋道立てて話している。
ただ、このやりとりをした後の反応からすると、「求められている回答、きっとこれじゃないんだろうな」と毎度思ってしまう。もっと“お手軽”な方法を探しているのだろう。日本でちょっと大きめのお金を払って、よくわからない“資格”を手にして、調香師を名乗る“後ろ盾”にする方法こそが、“求められている回答”なのだ。
そういう“お手軽”な方法を提示してお金儲けをしているところをいくつか知っているから、いつも複雑な気持ちになる。私は質問者を満足させてあげられない一方で、“一時的な満足”を優先することがいいことだとも思えない。
いずれにしても、「調香師になる」という選択肢があることが早い段階でわかっているのならば、もう少し状況は違ったのかもしれない。年齢を重ねてからのチャレンジとは異なり、ハードルも低く、調香師になれる可能性も上がるはずだからだ。
その可能性に早期に気づけるほど、香水がメジャーになるときっといいのだろう。そうなることで、迷える子羊が減ってくれることを、私は祈るばかりである。
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