どうしよう、人生楽しすぎる
どういうわけか、この1ヶ月の間、下の記事が大変よく読まれたようだ。スキの数も多い。
6月は本当に苦しんだ。それを吐露したこの記事が他の記事以上に多くの方に読まれているのは、共感してもらえたからだろうか。それとも「他人の不幸はなんとやら」ということなのだろうか。どちらにしても、記事をより多くの人に読んでもらえるというのは嬉しい限りだ。普段はアクセス数もスキ数も伸びない、毒にも薬にもならないものばかり書いている私のnoteだが、時には毒、あるいは薬になってもいいだろう。
この記事は毒なのだろうか、それとも薬なのだろうか。
それにしても、私は6月に引き続き、7月もかなり苦しんでいる。7月のそれは6月とはまた違った苦しみで、どちらの苦しみも甲乙つけ難い。
今月も、しんどかったなぁ…まだ終わってないけど。
6月は物理的な忙しさに加え、アシスタント退職に伴う引き継ぎが重くのしかかったが、7月は7月で実際にアシスタントが退職したことによる私の業務の増加、それによって発生したあれこれの不慣れな事務作業によるストレス、及び資金繰りの悪化が重なった。私は今、与えられた試練によって試されているのをひしひしと感じている。乗り越えられるかどうかは正直微妙なラインだ。
心が折れそうになることが幾度かあった。特に先日のnoteにも書いた甲府で生きる価値を自身に問うていた時が一番落ち込んでいたかもしれない。昨年亡くなった母に会いたい、いっそのこと会いにいきたい、と強く思ったのもこの時だった。
その前後も多かれ少なかれ私は沈んでいたし、今もまだ本調子ではない。人と話したり自転車に乗ったりして、なるべく自分のご機嫌を取ろうと努力はしているが、どうしても限界はある。その上、ひどく疲れてもいる。
「言霊」などというものを深く信じているわけではないが、藁をもすがる思いで頼ったりもしている。なるべくポジティブな言葉を口にするように心がけているのだ。ただ、noteでこうやって愚痴ってしまったらその効果は“相殺”されてしまうのだろうか。どうなのだろう。
そんな中、ふと見かけた言葉に心を動かされた。
この言葉を見かけた場所についてはあえて書かない。ただそれは思いがけないところで呟かれていた。
どうしよう、人生楽しすぎる…
私は思わず、万年筆で何度かその言葉を綴ってみた。真っ白な万年筆から緑色のインクで紡ぎ出されたそれらの文字には、まだ“真実”こそなかったが、それはある種の“予感”を帯びていた。
きっとそう遠くないうちに、「どうしよう、人生楽しすぎる」が本当になるような気がした。
この言葉は、たまたま人生がそうなってしまったような印象の字面である一方、そこには人生を主体的に、主観的に楽しむ様子が見て取れるところに、その凄みがあるように思う。その不思議なコントラストが、私にはどこか“予言”のニュアンスを含んでいるように感じられるのだ。
この言葉を私の前にそっと差し出してくれた方、本当にありがとう。あなたはもしかしたら、冗談混じりにそれを書いたかもしれないけれども、それによって場合によっては救われることになるかもしれない、小さな小さな仔羊がここにいます。
あなたの人生が、本当に「楽しすぎる」ものであることを、あなたのことは何も知らないけど遠くから祈っていますし、私のそれも、そしてこれを読んでくれている読者の皆様のそれも、併せて「楽しすぎる」ものとなることを、心から願っています。
人生を楽しすぎるものにするのは、きっと自分自身なのだろう。それならば、この重く苦い人生も、いっそのこと楽しすぎるものへと変えてしまおうじゃないか。
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