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母のパールのネックレス

数日前のこと。

徳島からの飛行機が遅れ、福岡空港に予定より40分ほど遅い夜10時ごろ到着した。手荷物を受け取り地下鉄の駅まで走っていき、なんとか当初の予定通り10時35分博多駅発の電車に間に合った。

本当であれば福岡に滞在したかったのだが、ホテルが異常に値上がりしており、2泊するとそれだけでとんでもない値段になってしまうので、仕方なく佐賀駅近くのホテルに滞在することにした。いずれにしても、佐賀にも用事があったので、結果的にはよかったのだが。

佐賀駅に到着したのは11時を少し回った頃。そこから宿泊先までは歩いて向かえる距離だった。スーツケースを引きずりながら改札を出て、ホテルを目指した。


駅を出てすぐ、夜の北口の情景が、私に遠い昔のことを思い出させた。


中高6年間、佐賀県にある全寮制の学校に通っていた。東京生まれの私が佐賀に行った理由は大小様々あるが、その中のかなり小さなひとつに、母が佐賀の大学出身であった、ということは間違いなくあったと思う。全く土地勘のない場所ではなかったことは、12歳の私を送り出す際に彼女の背中をほんの少しだけ押してくれたはずだ。

ただ、母が佐賀まで来ることはなかった。本当は来たかったのだと思うが、当時から病気がちだったし、まだ妹を父に任せられなかったのだろう。

そんな母が私の在学中、最初で最後に佐賀に来たのは、高校の卒業式のためだった。形式的なことを好まない人だったので、式に出席したかったのかどうかは定かではないが、佐賀に行くラストチャンスだと思い、無理をしてきたのだろう。

3月上旬のことだった。国立大学の受験を終えたばかりで、1週間後に結果が発表されるという“宙ぶらりん”な時期だった。私は18歳になったばかりで、母はちょうど50歳だった。

卒業式の前日、佐賀駅付近で一緒に夕飯に行くことになった。寮の規則としては外食は通常認められていなかったが、受験を終えたばかりだったことに加えて、品行方正な優等生だったこともあり、特別に許可をもらった。本来ならば制服で行かねばならなかったはずだが、記憶の中の私は私服姿だ。

学校から佐賀駅まではバスで30分ほどかかったと思う。日が沈んでいく時間に寮を出るということは、その時がはじめてのことだったかもしれない。それは私に卒業後にくる自由な日々を予感させた。少しだけ「おとな」になった気がした。

母も私も携帯電話を持っていない中で、どのように待ち合わせたのかはよく覚えていないが、きっと母が泊まっていたビジネスホテルのロビーで落ち合ったのだろう。そのホテルが佐賀駅北口を出たところにあったので、夜中の北口の情景がこの出来事を蘇らせたのだと思う。


母はスーツにパールのネックレスを合わせていた。スーツの色は紺色だったような気がするが、記憶が若干曖昧だ。ただ、パールのネックレスについては鮮明に覚えている。彼女のフォーマルな装いを見たのはいつぶりのことだっただろう。パールのネックレスに至っては、はじめて見たかもしれない。

そのパールのネックレスが、彼女をグッと“女性”にしていた。自分の母親ながら、その姿にドキッとさせられた。彼女がより“女性”になったことで、私からより“切り離された”存在になったように感じたのだろう。

あるいは、私こそが彼女から“切り離された”のかもしれない。夕暮れ時に寮を出る経験が、私をその時本当に「おとな」にしたことで私はほんの少しだけ自立したのだ。


小洒落た(と当時の私には感じられた)イタリアンに入った。夕飯には少し早い時間で、私たちの他に客はいなかった。お酒が飲めず偏食かつ少食の母は数限られる食べられそうなものの中から軽いおつまみを選び、私はピザだかパスタだかの炭水化物を注文した。卒業式前日に加えて、大学入試の合格発表前のやきもきで、若干変なテンションだったことをうっすらと覚えている。母は母で久しぶりの佐賀ということもあり少々舞い上がっていたはずだ。


楽しく食事をしてお別れをした。ひとり寮に帰りながら、私は徐々に「こども」に戻っていった。


あれから18年が経った。佐賀駅北口に降り立った時に思い出されたたったこれだけの出来事だが、そこには何か秘密めいたことが隠されているような気がふとした。

その日の夜、私と別れひとりになった彼女は何をしたのだろう。何か特別なことをしたのではないだろうか。もしかしたらそれをすることこそが、彼女が思い切って佐賀に来た理由だった、なんてことはないだろうか。


例えば、私の別れた後、こっそり大学時代の恋人に会っていた、とか…


いや、さすがにない、か。大学卒業から30年近く経っていたあの時点で、あの母が昔の恋人とまめに連絡を取っていたとは考えにくい。

それでも、あるいは…


いずれにしても、その日の夜、彼女が何をしたのかについては何も知らされなかったし、特段知ろうとも思わなかった。


もう18年も前のことであるが、私は彼女が、どのような形であれ素敵な夜を過ごしていたことを、佐賀駅北口で密かに祈った。


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