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Jan Jan Van Esscheの話

「エチオピア料理とだいたい同じだよ」

その時私は、ふたりのベルギー人に連れられてエリトリア料理のレストランにいた。エチオピア料理すらも食べたことがなかったので、どんなものなのか全く想像がつかなかった。

レストランに着いたのは夜8時半をまわった頃。遅い時間からそこでコンサートが行われるらしく、ステージではその準備が行われていた。5人ほどの男性が何かをしているが、手際がすこぶる悪く、一向に進んでいるようには見えない。薄暗い店内はステージ上のいささか大きすぎるスピーカーから流れる、ご機嫌だが聴いたことのない音楽が爆音で響き渡っている。ところどころ音が飛んだり、ノイズが入ったり、と、ひどいものだった。

「いつもはこうじゃないんだけどね」

ひとりのベルギー人が申し訳なさそうに告げる。その日はどうしてもそこの料理が食べたい気分だったらしい。とりあえず短時間で食べて、あとは場所を変えてゆっくり話そう、とのことだった。

大きなプレートが運ばれてきた。暗くてよく見えなかったが、真ん中にたっぷりのトマトソース(のようなもの)が溜まっていて、そのまわりにサラダやら豆料理やらと、薄く柔らかい巻かれたパンが敷き詰められていた。パンをちぎってソースにつけながら食べる。全体的にしっかりとスパイスが効いた料理だったが、「いつもと何か違うね、入れ忘れたスパイスがあるのかも」とベルギー人のふたりは言い合った。


そのふたりとは、Jan Jan Van Essche氏(以下ヤンヤン)とPietro Celestina氏(以下ピエトロ)。今回アントワープに来た1番の目的は、「Jan Jan Van Essche」というブランドのファウンダーであるふたりに会うことだった。詳細は割愛するが、とある人から“おつかい”を頼まれていたのだ。

無駄に騒がしいエリトリア料理店を出て、私たちはふたりが住む家へと向かった。レストランと打って変わって静かな部屋だった。整然としているわけでないが、あたたかみとセンスのある、居心地のよい空間だった。

レストランではできなかった仕事の話をした後、お互いのことを尋ね合った。ふたりとは何度か顔を合わせたことがあるが、そこまで深い話をしたことはなかった。私がどういう経緯で香水ブランドを立ち上げるに至ったかを話した後、ふたりのこれまでについて語ってもらった。


アントワープ生まれのヤンヤンは、アントワープ王立芸術アカデミーという、ファッション界では世界的に権威のある学校を、本人曰く「優秀な成績で卒業」した。しかしその後、うまく就職先を見つけることができなかったので、インテリア関係の父の仕事を手伝ったり、ほんの少しだけ子供服のブランドで働いたりしながら(それが唯一のアパレルでのキャリアだった)、卒業から何年かののちにブランドを立ち上げた。

一方のピエトロは、カリブ海に浮かぶオランダ領の島生まれで、学校を卒業した後にオランダ本国に来たが、うまく馴染めず、数年後に本人曰く「ビビッときた」アントワープに移り住んだ。そこでふたりは出会うことになる。ヤンヤンがまだ学生の頃だ。

ブランドを立ち上げるに至る動機については特に何も語られなかったが、話ぶりから想像するに、ぼんやりと自分の中にあったクリエイティブに対しての欲求が、ピエトロという強力なパートナーの存在とともに、時間をかけてゆっくりと具体化していたのではないかと思う。

2010年6月に最初のコレクション“YUKKURI”を発表した。ブランド立ち上げからしばらくは右も左も分からずに悪戦苦闘したが、そこから無理することなく、ゆっくりと自然に成長し今の姿がある。

「ずっと一生懸命だったから、この15年が嘘みたいにあっという間だよ」

ヤンヤンは言う。


「ユータと知り合ったのはいつのことだったっけ?」

ピエトロが私に尋ねた。

私が彼らにはじめて会ったのは、去年の1月、ファッションウィーク中の彼らのショールームでのことだった。「Context Tokyo」「乙景」「kune」のバイヤー達のバイイングに通訳として同行したことで知り合いになったのだ。

そのことを告げると、

「まだ1年ちょっとしか経っていないのか!もっと前から知っているような気がするよ」

と口にした。

この1年の間に、パリ、アントワープ、そして東京で会っているので、私もなんだかふたりには勝手に親近感を抱いていた。それに私たちはフランス語を共通言語として持っているので、よりコミュニケーションがとりやすいのだ。


「彼らと一緒にいると、言葉なんて必要ない、っていつも思うよ。服を触って、着て、身振り手振りで説明すれば、全て通じるんだ。大切なのは情熱を共有していることなんだ」

「彼ら」とは先のお店のバイヤー達だ。私も通訳で同行しながらそれを感じていた。私は今この場で本当に必要とされているのだろうか、私がいなくても心と心が通じたコミュニケーションがとれているのではないだろうか、と横で見ながら思っていたのだ。それくらい彼らは真剣に、服と、ブランドと、そして作り手と向き合っている。

そして、ただの通訳として同行していた私が、その情熱の渦の中に少しずつ引き込まれていく。それは私に、紅茶の深紅の中で崩れゆく角砂糖を思わせた。あたたかく、心地よく、ひとつになっていくのだ。


夜11時過ぎにふたりの家を出る時に、寝室で寝ていた猫が挨拶に来てくれた。名前はタイガー。もう16歳ほどになるらしい。

私に軽く触れた後、ヤンヤンのところに真っ直ぐ向かった。頭を撫でられると彼の前にゴロンと横になった。いつもこんな感じなのだろう。


顔をかすめるアントワープの夜風は冷たかったが、私はあまり寒さを感じなかった。それはきっと、ホテルまでの道のりを足早に帰ったからだけではなかった。

アントワープに来てよかった、と思えた、そんな夜だった。


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