ゾーンという名の阿片
私は、もしそれをそのように呼ぶのならの話だが、“ゾーン”を体験したことがある。2005年6月、よく晴れたある蒸暑い日のことだ。
私はそのとき、佐賀県の陸上競技場の4レーンに立っていた。佐賀県の高校生最速を決める100m決勝のレースを前に、会場は異様な熱気に包まれていた。
準決勝を全体トップの10秒76で通過した私は、当然そのレースの大本命だった。前日の3本の400mと、その日すでに走った2本の100mで、お世辞にも最高のコンディションとは言えなかったが、それを忘れ去れるほどの興奮状態にあった。自分の中から湧き出てくる何かを抑えられなかった。
結果的にそのレースは、追い風参考記録ながら、10秒55で制することとなるのだが、そんな結末や数字はさして意味をなさない。私にとって大切なのは、その10秒ちょっとの間に私の身に“起こった”出来事だ。今日はそれについて話そうと思う。
スタートして一歩目が地面についた瞬間に、私の中で勝負は終わっていた。「このレースは絶対に負けない」という確信が生まれたのだ。
そこから先は、誰も視野に入らず、ただ一人旅をすることとなるのだが、それがとても不思議だったのだ。
まず、自分の身体を自分で動かしている感覚は一切なかった。私の身体は、どこかに吸い寄せられるように前に進んでいた。
次に、とても静かだった。100mの決勝のレースは、各校が全部員を動員して応援しているはずだが、何も聞こえず、まさに「水を打ったよう」だった。
そして、ゆっくりだった。周りのものがスローモーションで動いているように感じられたのだ。時間がゆっくり流れているのとはちょっと違う。時間は正常に流れているのだが、私だけが時間を“引き伸ばして”認識する能力を持っているような、そんな感覚だった。
宮崎駿監督の『紅の豚』という映画を観たことがあるだろうか?ポルコがフィオに、過去の戦争の思い出を語るシーンで、戦闘艇で独り雲の中を飛んでいる映像が出てくるのだが、まさにそれと同じような感覚だった。上の私の説明がわかりにくい人は、ぜひ『紅の豚』の当該シーンを観ていただきたい。
今にして思えば、この経験は私の価値観を大きく変えることとなった。それまでの何年にもわたる練習は、全てこの10秒ちょっとのためにあったのだ、という気づきを得ることができたからだ。この経験を得るためだけに、私は青春の大部分を陸上に注ぎ込んだのだ。
きっと人生はそのようなものなのだと思う。ピカソは『ゲルニカ』を描くために、サン=テグジュペリは『星の王子さま』を著すために、そして調香師エルネスト・ボーは『シャネルNo.5』を作るために、生まれそして生きたのだ。歴史に名を残すものを作れるとは思わないが、私の人生は、きっと私が大切にしている何かのほんの一瞬のためだけにある、というふうに思えてならない。
さて、ここまでの話を聞いて、このゾーンに入った体験を羨ましく思うかもしれない。実際にこの体験を話した際に、そのような反応をされたこともある。
しかしながら、今となっても、この体験が私にとって良いことだったのかは定かではない。
この体験は15年も前のことである。にも関わらず、私はその15年前の出来事をありありと脳の中で再現できる。それは人生のどんな記憶よりも熱く、ぬらぬらとしている。
この15年間、様々なことがあった。大学に行き、就職をした。会社を辞めてフランスに来て、自ら会社と香水ブランドを立ち上げるに至った。いくつかの恋をした。お金を稼いだ。酒を飲んだ。旅をした…
しかし、この15年間のどの出来事も、あの遠い日の10秒ちょっとの足下にも及ばない。あの瞬間の本能的な喜びや、身体の奥底から何かがとめどなく溢れ出てくる感覚を、再び味わうことはなかった。
私は、そのエクスタシーの味を知ってしまったがために、虚ろな眼と痩せこけた身体で煙管を求める阿片中毒者なのかもしれない。もう中毒から抜け出すことはできない。しかし私はもう阿片を持っていない。私の阿片はどこにあるの…?
開高健は著書『ロマネ・コンティ・一九三五年』に収録されている『飽満の種子』というエッセイで、彼自身のヴェトナムでの阿片体験を語っている。彼はそのエッセイを、以下のように締め括っている。
「ある正午、銀塔酒家のいつもの席にすわって、私は眺めるともなく河を眺めていた。軽快な脂と肉汁のつまったハトをたっぷり食べたあとで、体内のあちらこちらでビールが泡だっていた。陽が白熱して黄いろい水や小さな紫の花などのうえでゆらめき、眼をあけていられないほど暑かった。私は電撃をうけたように一つの啓示にうたれたのだが、それが何であるのか、わからないでいた。ただ、もうこの国には二度と来ることはあるまいと、ひたすら思いつめていた。
淋しかった。」
開高健『飽満の種子』
私は、「もうこの国には二度と来ることはない」と断言することができない。あの体験を、過去の出来事として心の奥底にしまい込み、なかったことにすることなど、到底不可能なのだ。
フランスに来て私がしていることは、阿片がたくさん詰まった煙管を探しているということと同じなのではないだろうか。もし私が、何年かの後に、私の理想を香りに凝縮することができたのなら、あるいは救われるのかもしれない。その先は?きっとまた、新しい阿片を求めて、彷徨い歩くことだろう。私はもう、ゾーンという名の阿片に、骨の髄まで侵されているのだから。