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芸術に対する異なるふたつの考え方

先日、大学院の同期の新年会が行われた。年に2回程度集まり、出席率は毎回7割を超える。卒業して10年以上が経つが、私たちはいつも瞬時に昔の私たちに戻ることができる。

大学院時代の私たちはとにかく“Work Hard, Play Hard”を地で行く集団だった。毎週必ずどこかしらで徹夜でのプレゼン準備をしながら、飲み会の際はとことん騒いだ。あまり褒められた話ではないが、複数の施設から出禁をくらったしもした。

大学院卒業後は、半数以上が外資系の金融機関やコンサルティングファームに就職し、残りの3分の1ほどがキャリア官僚になり、あとは大手日系企業や就職せずに独立する道を選んだ。そこからもうすぐ13年になるが、転職や独立を経ながらも、皆真面目に働いているようだ。

私のようにファッションに近い業界で働いている人はいない。思い返せば学生時代にファッションに興味を持っている同期はほとんどいなかったから、当然といえば当然なのかもしれない。今私の周りにはそういった業界に携わっている人たちばかりだから、その世界で働くことがごく普通に感じられるが、世間一般では実はかなりのマイノリティなのかもしれない。


飲み会の中で、とても印象に残った会話があった。ヨーロッパの方が日本と比べて芸術がより保護されやすい社会構造になっているのではないか、という話を私がした際に、

「芸術って全く興味ないんだよね。何がいいのか全然わからない。この前ニューヨーク出張の時に、美術館に入ったんだけど、当然そのよさなんて全然理解できなかったわけ。やっぱり芸術を鑑賞するには、歴史的な背景がある程度頭に入っていないと楽しめないことを再認識したよ。そんな俺でも、ゴッホのあのグルグルした絵だけは、なんかいいな、って思ったんだよね」

と、とある同級生から返ってきた。彼は新卒から今まで、大手日系企業で出世街道を歩んでいる、いわゆるエリートだ。

前後の発言も合わせて要約すると、彼にとって芸術は「理解」される対象であり、その理解のためには最低限おおまかな美術史を把握している必要があると認識しているが、それを持ち合わせていないが故に自分は鑑賞する主体になり得ず、結果として芸術は自分には全く関係のないものだと思っている、ということであるようだ。

この彼の論旨に首肯できる人はどれほどいるのだろうが。意外と多数派は彼の側なのだろうか。少なくともその場にいた同級生の多くは納得していたようだ。

私はこの発言を受けて、とても驚いた。私はそもそも一度の鑑賞を通して作品の全てを「理解」しようとすることがなかった。各作品から聞こえる断片的な“声”に耳を傾けながら、時に解説を読みながら、私なりに目の前の作品を解釈しようと試みるのみなのだ。そしてそれを繰り返す中で、ある特定の作品や作家を好きになり、そこから深くそれについて知っていく、というのが私の芸術との向き合い方だった。よって、当然だが日常的に美術館に通い、おおまかな美術史が頭に入っている今においても、「理解できた」といえる作品はない。


芸術鑑賞の原体験は、エドヴァルド・ムンクの『叫び』だった。まだ小学校に入る前だったと思う。なぜ彼はこんなにも恐ろしい作品を描いたのかが気になった私は、ムンクの画集を誕生日プレゼントにお願いした。そこで彼が、死を感じさせる(きっと幼い日の私はそれをただ「なんだか怖い」としか認識できていなかったのだが)作品を多数残していることを知ったのだ。

その後母が、ゴッホ、ピカソ、シャガール、ルソー等の存在を教えてくれた。ゴッホをテーマとした映画を観た後には、出会う大人全員に「どうしてゴッホは自殺をしなければならなかったの?」と聞いて回った。ピカソの『ゲルニカ』のレプリカを観た際には、その大きさも含めて圧倒された。

つまり、私は幼少期から、「理解」の対象ではない芸術の存在を自然なものとして受け止めていたのだ。


世のビジネスマンの大半が、先の彼のように芸術捉えているわけではないだろうが、芸術に限らず、どんなものに対しても常に「理解」を求めてしまうという傾向は、あるいは強くあるのかもしれない。それによってファッションや芸術の側にいる人とそうでない人の間に大きな齟齬が生まれている可能性はきっと高いだろう。


もちろん、どちらが正しいということはないが、芸術というある種極端なテーマにより、同じような学生生活を送ってきたはずの彼らと私の間に、これほどまでに大きな認識の差があること浮き彫りになったことが新鮮な驚きだった。

彼が芸術やファッションの側にいる私のスタンスをどれほど「理解」をしてくれたのかはよくわからないが、少なくとも私は彼の芸術に対するスタンスをある程度は「理解」することができたように思う。それはきっと、我々の相互理解のために重要な第一歩なのだろう。

まだ日本では完全には市民権を得られていない香水が、どのようにしたら適切な形でより多くの人の手に渡るのかを考えるヒントが、そこにはあるのかもしれない。いずれにしても、香水を使う人々と、そうでない人々が、お互いをきちんと理解するところから全てがはじまるはずだ。


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