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大原交差点の先

「光陰矢の如し」や“Time flies”という表現があるが、現代物理学においては、これらの時間が一定の方向に飛んでいくようなイメージは、実際のそれのあり方を適切に表していない、と考えられているらしい。『時間は存在しない』(カルロ・ロヴェッリ著、冨永星翻訳)という本まで出版されているのだ。

それではそれはどのように存在しているのか、あるいは本当に存在していないのであれば私たちが認識している「時間」とは実際のところ何なのか、説明を受けたところで結局すんなりと理解することも受け入れることもできないのだろうが、知りたい気持ちは強くある。


伊勢丹新宿店での「サロンドパルファン2024」は今日で4日目。土曜日ということもあって、今までの3日間以上の盛り上がりを見せた。お昼過ぎから夕方までの時間はあまりの忙しさに、時間がどのように存在していたのか(あるいはしていなかったのか)すらよくわからなかった。そこの部分だけ本当に時間が存在していないように感じられた。もしかしたらそれこそが、時間の“本来のあるべき姿”なのかもしれない。


今日の営業が終わったあと、ひとり家に帰りながらそのすっぽりと抜けた数時間のことを考えていた。それがいつの間にか、「ところで時間って何だっけ?」という、考えれば考えるほどドツボにハマっていくであろう疑問に発展していった。

「時間を巻き戻したい」(今は「早戻し」が正しいのかな?)という表現はよく使われる一方、「時間を早送りしたい」とはあまりいわれないような気がする、とふと思ったのだが、私はその時、何だか「時間を早送りしたい」気分だった。

ただ、時間が直線的に存在していないのであれば、もしかしたら私は今この瞬間ですら人生の終わりを同時に生きているのかもしれない。一連の出来事を、“エントロピーの低い順に並べ替える神様”みたいなのがいて(あるいはそれこそが「物理法則」と呼ばれるものなのだろうか)、その神様が敷いたレールの上で私たちはただ運ばれている、と考えられないだろうか。

私が想像する、今この瞬間同時的に存在しているかもしれない人生の終わりの姿は、羅生門に打ち捨てられた、下顎のとれたシャレコウベだった。取り残された左目の眼球だけが微かに動いたその刹那、その動きを目ざとい烏に見つかり、2、3度突かれて事切れるのだ。きっとそれは、私らしい最期なのだろう。


ところで。

この「サロンドパルファン」期間中、2日に1回の割合で深夜1時ごろの東京を自転車で走っている。noteの執筆後で、疲れも眠気もピークなのだが、夜のサイクリングで気分転換を図らないと、私自身がダメになってしまうような気がするのだ。

甲州街道を大原の交差点まで下り、環七を少し走ってすぐに井の頭通りに入る。そのまままっすぐ富ヶ谷の交差点へと向かったのちに家に到着。時間にして30分くらいだろうか。

大原の交差点が鬼門だ。いつもこのまままっすぐ八王子あたりまで走り続けたい気持ちに駆られる。片道30キロちょっとだから、往復したら4時間弱程度だろうか。朝6時に帰宅して、2時間の仮眠でまた店頭…いや、あまりにも現実的ではない、と思い、環七へと左折する。

あるいは、もし大原の交差点を直進したら、私はそのままもう2度と帰ってこないかもしれない。そのまま自転車と共に、行けるところまで行って、最終的に羅生門に辿り着くのだ。

それはそれで、きっと悪くないだろう。


この「サロンドパルファン」期間中のnoteの執筆が遅々として進まないのは、日々こんなふうにくだらないことを考えているからだ。イベント期間中というのは、否が応でも色々考えてしまう。


もうすぐ深夜1時になる。今日も何とかある程度書き上げることができた。あと200〜300字程度書いて投稿すれば、今日という日にも一旦のピリオドを打つことができる。

昨日は自転車に乗っていない。ということは、今日は夜の東京を走るべき日。外は小雨だがあと15分ほどで止むらしい。


さて、私は大原の交差点で直進せずに環七に入ることができるだろうか。案外私を待つ羅生門はすぐ近くにあるのかもしれない。それともそれはまだ先の先の先なのだろうか。


大丈夫、今日もちゃんと大原の交差点で左折しよう。直進するにはまだ早すぎる。仮に時間は存在していなかったとしても、私の中にはちゃんと、時間らしきものはあるのだから。


あと2日、頑張ろう。


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