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召命と母

召命の仕方や形式はたくさんあるが、体験の核心と意義は常に同一である。内部の夢や予感に代わり、突然外部の呼びかけが、一片の現実が現れて、干渉することによって、魂が呼び覚まされ、変えられ、高められるのだ。

『ガラス玉遊戯』ヘルマン・ヘッセ、渡辺勝訳

帰り道の電車の中、この部分を読んでいた私は、ふと「召命」という言葉を正しく理解しているのかが気になった。実は私の中で「勅命」とごっちゃになっているように思ったのだ。

家に到着後すぐに広辞苑を広げた。このように書かれていた。

しょうめい【召命】(vocation イギリス・Berufung ドイツ)
ある使命を果たすよう神が呼びかけること。預言者や聖職への召命のほか、ルターの宗教改革以降は一般の職業にも言われる。召出し。

『広辞苑 第七版』岩波書店

私は「召命」を「運命付けられること」のように漠然としか捉えていなかったが、実際はもっと限定的な意味合いを持っていたようだ。

そういえば、高校の英語の授業で「職業」を表す単語を覚える際、professionやoccupationに混ざって、上の引用部にもある"vocation"が出てきたのをふと思い出した。先生はそれを「天職」と訳したように記憶しているが、本当の意味はそれよりかもう少々強そうだ。

『ガラス玉遊戯』においては、主人公ヨーゼフ・クネヒトが「遊戯名人」という聖人へとなる最初の契機となる「音楽名人」との出会いが「召命」として機能していると書かれている。

私の人生のどこかに、すでに「召命」はあったのだろうか。それともこれからなのだろうか。あるいはそれは一生訪れないのだろうか。


その日の夜、私はある人と夕飯を共にしていた。仕事関係の方だが、結局全くといっていいほど仕事の話にはならなかった。それは私にとっては「いい傾向」だといえる。

三児の母であるその方のとある言葉が印象的だった。

「嘘はダメだけど秘密はいいよ、って子供たちにはいっているんです」

なんだかとても素敵な教えのように思えた。その都度嘘をついて誤魔化すよりも、秘密のままにしておく方がいいという場面は実際多いはず。子供にしたって、当然秘密があってもいいし、親が全てを知る権利などあるはずもないのだ。

母と私の間にも、そういった“暗黙の了解”があったような気がする。だから私は母の前で自分の恋愛に関する話をほとんどしなかった。私にとってそれは「秘密」に該当するものだったのだ。そして母にしても、もしそれを私に尋ねたら私が「嘘」をつくことになるので、あえて何も知らないフリをしていたのだと思う。

大学生の頃、一度だけ母がたまたま私とその当時付き合っていた彼女のプリクラを見つけたことがある。

「なかなか可愛いじゃん」

母は私にそういっただけで、それ以外は何も質問しなかった。必要以上に息子の「秘密」には立ち入らないというスタンスを貫いたのだろう。

今母のそういった姿を思い返すと、大袈裟かもしれないが「克己的」ですらあったように思う。そういったことも含めて、母は「母」という「聖職」をまっとうしていたと、今となっては思い出されるのだ。


母はどのようにして「母」になったのだろう。そこには「召命」があったのだろうか。もしそうだとすると、彼女にとっての「外部の呼びかけ」、「一片の現実」とは何だったのだろう。

妊娠、あるいは出産はもちろんそれになりうるだろうが、それらはあくまでも生物的、または社会的なコンテクストで「母」になったことしか意味しないだろう。私はどこかに、彼女が「聖職」としての「母」になった契機があるような気がしてならないのだ。もちろん、実際のところはもう知る由もないのだが。


母はその「召命」をどのように受け止めたのだろう。それは彼女にとって喜ばしいものだったのだろうか。そして私に「召命」はどのように訪れるのだろうか。

急に寒くなった今宵、私は夜道を歩きながらぼんやりと考えていた。


クネヒトはずっとあとになって、彼の生徒に次のように語った。彼がその建物から外へ出たとき、町と世界が、旗や花輪、テープや花火で飾られたより、はるかに変わってしまい、魔法にかけられたように感じた。彼は召命の経過を体験したのだった。それは秘跡と言っても良いであろう。これまで彼の若い心が、ある時は話に聞いて、ある時は燃えるような夢の中でしか知らなかった理想の世界が、姿を現し、招くように扉を開いたのだ。

『ガラス玉遊戯』ヘルマン・ヘッセ、渡辺勝訳


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