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今日も今日とて自己紹介 〜フランスに来てから香水ブランドを立ち上げるまで Part 5. 起業決意編〜

そんなに怒った顔しないで、ムシュちゃん…。
※本文とはなんの関係もありません。

前回の記事では、インターンで私が掴んだ『パリマジック』について書いた。今日はインターン後、どのようにブランドを作る決意をするに至ったかについて書いていこうと思う。

この記事では、まだ自分の中で上手く消化できていない出来事について書く予定だ。それは正直辛いことであるが、今後のためにも、ここにきちんと告白しておくことはいいことだと思って、あえて書くことにする。

私にはとても仲の良い友達がいた。パリで活躍する日本人デザイナーだ。名前は伏せるが誰もが知っているブランドに在籍し、デザイナーとしての経歴も長く、まさに名実ともに優れたデザイナーだった。
私のインターン期間中、彼とテラス席で飲んでいるときに、「一緒にブランドを作らないか」と持ちかけられた。彼がブランドをやめてデザイナーとして独立し、私がファイナンスやマーケティングを担当する、という提案だった。

私はこれを素晴らしいチャンスだと思った。インターン先での仕事はとても気に入っていて、ジャンミッシェルとギョームと一緒に働き続けたい気持ちは強かった一方、彼らに私を雇うだけの金銭的余裕がないことは、会社の財務を見ていた私が一番よく知っていた。また、彼らと一緒に働いてしまったことで、他の香水ブランドに行く魅力は非常に薄れた。私はこのインターン先で、調香師とともに、香水のクリエーションに携わりながらブランド戦略も考えていく仕事に大きな喜びを感じていた。この記事で書いている通り、独立したブランドを持っている調香師はまだまだ少ないため、調香師の隣で仕事をする機会のあるブランドは稀である。だからと言って、調香師が所属している香料メーカーへの就職は私がやりたいことからより遠ざかってしまう。クリエーションとブランド戦略の両方に携われる環境は、ジャンミッシェルのところ以外にないと言っても過言ではなかったのだ。
彼の提案に賛同すると、一旦香水からは遠ざかってしまう。しかし、大切な友達に必要とされ、貢献できるということは嬉しかったし、自分も経営者として経験を積むことができる。また、実力のあるデザイナーとともに事業を興すということは、今後の私のキャリアには大きなプラスだとも思えた。さらに、何年かの後にこのブランドの中で香水を発表することもできるはずだ。その時は私が香りのディレクションをしよう…そんな思いで、彼の提案に二つ返事で返したのだ。

インターンを終え、無事に卒業論文も提出し(なんと、私の論文はクラス全体で2番の成績をとった。考えてみれば当たり前で、香水業界のマーケット分析、ジャンミッシェルのブランドへの考察、改善点及びそれに伴う財務インパクト…自分が好きなことや過去仕事でやったことのみで構成されたものだったのだから、内容の濃いものを書くことができたのだ)、そのまますぐ私1人で日本に帰った。友達と一緒にブランドを立ち上げるプロジェクトをプレゼンし、ブランドローンチのために必要最小限の資金を集めるためだった。1ヶ月ほどの滞在だったのだが、彼、そして私の予想を裏切り、なんとかブランドのローンチができる最低限の資金を投資してもらえる約束を取り付けることができたのだ。もちろん、それは彼のデザイナーとしての経験と実績があったからなのだが、プロトタイプもなく、何枚かのデッサンのみでのプレゼンだったので、正直この結果は嬉しい誤算だった。

12月上旬にフランスに戻り、私は実際の会社設立手続きに必要なものを調べ、ブランドコンセプトの設定、財務シミュレーション、競合分析等に取り掛かった。彼は会社を辞め(まだこの時点で彼はまだ会社に辞めることを告げていない)、新しいブランドのためのデザインに取り掛かるはずだった…
はずだったのだが、実際には彼はなかなか退職の意向を会社には告げず、またデザインもほとんど上がってこなかった。仕事が忙しかったり、家庭の事情があったり、理由はそれなりにある一方、私はそれに対し、無自覚に不満を募らせていた。

最終的に、彼は年明けしばらく経ってから、会社に退職の意向を告げるのだが、その頃には私の中でもう手遅れになっていた。彼が独立したいという気持ちは、彼の中にある何か表現したいものから来ている訳ではなく、彼の周りの独立したデザイナーを見て生じた、“羨ましさ”と“焦り”から来るものなのではないか、そして、もしそうだとしたら、彼とのプロジェクトは上手くいくはずなんてないのではないか、という考えがどんどん膨らんで行った。

2月の上旬、その考えが膨らみきったところで、私は「止めるなら今がラストチャンスだ」と思った。そして、もしこのプロジェクトを取りやめにしたら、その後に私は何をしようか…と考えた。

そのときに、「自分の香水ブランドを立ち上げよう」という考えが降りてきた。フランスでの会社の設立方法、それにかかるコストはもう把握していたし、香水の製品化についてはインターンで実践した。資金集めに関しては、直近の経験によりやってやれないことはないと感じた。あとは、調香を担当する調香師を探すだけだった…
ジャンミッシェルにすぐ連絡した。「相談があるから、オフィスに行っていいかな?」。その日の夕方、ジャンミッシェルは私をオフィスに迎え入れてくれた。

「自分の香水ブランドを立ち上げたいのだが、調香を担当してくれないか?」
と切り出し、ジャンミッシェルに事情を説明した。
「もちろん、ユータのお願いなら喜んで。香りのイメージについて準備ができたらブリーフィングをして欲しい」という回答を得た。

この会話の翌日、私は友人のデザイナーのところに、プロジェクトの中止の提案をしに行った。彼は最初こそ驚いていたものの、どこか「しょうがない」と思っていた部分もあったように私には見受けられた。

これは今から1年ちょっと前の話だ。
もしそのまま、彼と一緒にブランドを出していたら、成功していたか、失敗していたか、それは誰にもわからない。私は、失敗するだろう、と思ったから、プロジェクトの中止を決意したが、もしかしたら大成功していたかもしれない。どのみち、今となってはどうでもいいことだ。
私が唯一後悔しているのは、ブランド設立の話を持ちかけられたときに、気軽に返事をしてしまったことだ。あのときにもし真剣に考えてあげられていたら、あるいはこういう結末にはならなかったのかもしれない、と考えることがたまにある。いずれにしても、もう過ぎ去ってしまったことだから、考えたところでしょうがないのだが。

「自分の香水ブランドを作りたいと思ったからプロジェクトを中止したんでしょ?」と思った方もいるかもしれない。一応自己弁護のために言っておくが、私はプロジェクトの中止を自分の中で決意した後に、香水ブランドを作ることを思いついた。というのも、プロジェクトの中止を決意したときに初めて、ブランドを立ち上げるための要素がほぼ全て自分の手の中にあることに気がついたからだ。その時まで、自分独りでブランドを立ち上げられるなんて、考えられなかったのだが、会社設立そして運営のための法律及び財務的知識、資金調達の経験、香水業界の仕組みに関する知識、素晴らしい調香師、そして何より、自分が作りたい香水のアイディア…いつの間にか全て手にしていたのだ。

「もし」の話は何も生み出さないことは百も承知だが、最後にもう一回だけ。もし、彼と一緒にブランドをローンチするプロジェクトに最初から取り組んでいなかったら、私は自分の香水ブランドを作るなんて考えなかっただろう。今頃、どこかの香水ブランドで、マーケティングだかファイナンスだかの仕事をしているのではないか、と思う。

人生は本当に不思議だ。

さて、今日の記事はこの辺でおしまいにしたいと思う。次回の記事の内容に関しては、ちょっとまだ迷っている。ブランド立ち上げ開始から今までの話を書くか、それとも自己紹介シリーズはここでおしまいにして、他のテーマに移るか…オードリーのオールナイトニッポンを聴きながら考えることにしよう。

今日は少し暗い話になってしまった。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

次回も乞うご期待!

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