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「きみ」という二人称

「母親に『きみ』って実際に呼ばれてたの?」

友人と夕飯中、私の母の話になった。詳細は忘れてしまったが、母の何かしらの言葉を紹介した際に、友人から上記のような質問がきた。

「もちろん。普段は『裕太』って呼んでたけど、たまに『きみ』を使うこと、あったな」


その友人は母親から「きみ」と呼ばれたことはないらしい。さらに、もしそう呼ばれたら「ちょっと嫌かも」とまでいった。

その気持ちがわからないわけではない。ただ私は、その友人の想像とは逆に、母が使う「きみ」に対してむしろ好意的な印象を受けていた。


母が私のことを「きみ」と呼ぶ時、そこにはだいたい決まった“コンテクスト”があった。私の言動を通して、彼女が私のなんらかの特性に気づいた際、彼女はそれを「きみは◯◯だね」というフレーズと共に私に伝えた。それは常に感心のニュアンスを伴う、ポジティブなものだったように記憶している。

友人が母から「きみ」と呼ばれることに微妙な嫌悪を覚えるのは、きっとそこに他人行儀な雰囲気があるように感じられるからだと思料する。その気持ちを理解できるのは、私自身も確かに少し引いた印象を受けていたからだ。ただ逆に、少し他人行儀な雰囲気があるからこそ、それをよりポジティブなものと受け取っていたのだと思う。

母と私はとても深く愛し合っていたが、ふたりの間には“一本の線”が引かれていたように今となっては思い出される。私たちはお互いを尊敬しかつ尊重していたから、ある一定以上はお互いに干渉しないようにしていた。「なんでも話し合える仲」という、あけすけな関係性とは少し異なるものだった。例えば、恋愛の話は私たちにとっては“踏み込み過ぎ”だった。私たちはそれを、お互いにとってあまり適切な話題ではないと認識していた節があった。それもあって、母は私に過去の恋愛の話をほとんどしてこなかったし、私は母に彼女を一度も紹介したことがなかった(母の死後、私はそのことをほんの少しだけ後悔した)。

側から見ればこういった親子関係は「冷たい」と感じられるかもしれない。ただ、私たちふたりにとって、それは「親しき仲にも礼儀あり」という態度に他ならなかった。親子だからといって、なんでもいいわけではなかったのだ。それぞれにとってあえて話す必要のないことには触れなかったり、お互いのことを気遣うのは私たちにとっては当然のことであり、礼儀だった。


加えて、母が私のことを「きみ」と呼ぶことを私が好意的に捉えていたのは、彼女が私のことを息子としてではなく、ひとりの独立した個人として見ているように感じられたからだと思う。それによって私は尊重され、大切に扱われているような印象を得ていた。

思い返すと、母は私に、適切な距離を保ちながら、「息子」という彼女に従属した存在としてではなく、常にひとりの独立した人として接してくれていた。彼女がそれをどこまで意識的に行っていたのかは今となっては知る由もないが、通常であればそう簡単なことではなかっただろう。それはきっと、彼女なりの愛の形だったのだと思うし、私はそれによって彼女からの愛をしっかり感じることができた。


「きみ」という二人称によって、思いがけず私は母の愛を思い出した。母が旅立ってもう1年半ほどが経ったが、彼女が残した言葉によって、私は彼女の息遣いを、私の内側から感じることができたのだ。

そうやって母は、私の中にしっかりと居場所を見つけてくれたようだ。


もし私が親になることがあったら、私もきっと、子どものことを「きみ」という二人称で呼べるだろうか。自信はないが、きっとその時は、私の中にいる母が、背中をそっと押してくれるだろう。

「きみならできる」って。


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