何もできない人に成り下がるわけにはいかなかった
仕事始めを10時間後に控えた日曜日の静かな真夜中、私はひとり、台所に佇んでいた。目の前には洗い物でいっぱいになったシンクと、無造作に置かれたお菓子の山、そして連日の自炊で汚れたキッチンのワークトップが広がっていた。ステンレス製のシステムキッチンは見るも無惨な姿に成り果てていた。
その少し先に目をやると、書類や試作品で埋もれて半分も顔を出していない歪な形のダイニングテーブルがある。4人がけのテーブルに、4人が集った最後の日がいつであったか、私にはうまく思い出せなかった。
絶望、である。
片付けがすこぶる苦手だ。それは幼少期から変わらない。中高の寮生活では、品行方正で成績優秀、その上文武両道の三拍子揃った私が、片付けだけは壊滅的にできないことに、寮監の先生方は首を傾げていた。そういうタイプの生徒は過去ほとんどいなかったのだろう。だいたいにおいて、三拍子中のひとつかふたつでも揃えば、片付け程度はできるのが普通なのだから。
私にしたって、自身の整理整頓能力の圧倒的な欠如に首を傾げたいほどだ。私は私自身ともうすぐ37年の付き合いになるが、いまだにその理由がよくわからない。なんでだろう。
現在の私の家は同時に職場でもある。そのスタイルになって最初の頃はさすがに日々私なりの整理整頓に努めていたものの、すぐに諦めて、竜巻が暴れに暴れた後の様相を呈した我が家に従業員や仕事関係の人を招き入れることに微塵の抵抗も抱かなくなった。三島由紀夫は『美徳のよろめき』の中で「精神を凌駕することのできるのは習慣という怪物だけなのだ」と書いたが、私は見事に習慣(という怠惰)により精神(というか羞恥)を凌駕したようだ。
ただ、その日の私は何かが違った。今日なら片付けができるかもしれない、という気持ちがふと舞い降りてきたのだ。そしてそれは時間が経つにつれ、「今日こそ絶対に片付けをしなければならない」という強い衝動へと変形していった。
いつからだろう、「自分にはできない」と一度でも思うと、それ以上先に進めなくなってしまうようになったのは。
それはなにも難しいことに限らない。少しでも煩雑に感じる部分があると自動的に発動される。メールの返信、領収書の整理、ちょっとしたプレゼン資料の作成、ゴミ捨て、洗濯物のたたみ、ふるさと納税、バックでの駐車、車線変更、キャベツの千切り…皆が日々何の苦労もなくこなしていることでも、ほんの少しの“きっかけ”で、全く手が動かなくなってしまうのだ。そして、追い詰められてはじめて手を動かしてみると、「あれ、なんで私できないって決めつけていたんだろう…?」と思ってしまうほど、あっさりと全てが解決してしまうのだ。
それは片付けにしても同じだった。「私には無理だ」と一度感じると、私の身体は梃子でも動かせなくなる。さらにタチの悪いことに、片付けは本当の意味で必要に迫られることがほんどない。散らかった部屋を、見て見ぬふりさえすれば全てが解決する。私は見て見ぬふりのプロなのだ。そのようにして私は、何十年も片付けから逃げ回ってきた。
見て見ぬふりプロの私だったが、その夜は、「このままでいいのだろうか、私はそろそろ、『何もできない人』から抜け出さなければならないのではないだろうか」という問いが、内側からふつふつと沸き起こってきた。
お菓子の賞味期限を確認し、切れているものはゴミ箱に放り込み、まだ大丈夫なものは戸棚の中に収納した。花瓶やお香立てを一時的にテーブルの上に避難させた。洗うべきものたちはシンクに入れ、ワークトップが更地になったところで、洗剤をかけスポンジで磨きにかかった。汚れは思いの外しぶとく、私を嘲笑った。「お前はずっと、『何もできない人』なんだよ!」と。
ひとしきり磨き、洗剤を拭き取った後、それまでのシステムキッチンとそれまでてはない私が現れた。
シンクの洗い物をひとつずつこなし、拭き上げて棚にしまった。シンクのゴミを捨て、中を磨き上げた。テーブルの上に避難させていた花瓶やお香立てをあるべき場所に配置した。
私にも、できた。
私にしかできないことは、当の本人からするとできない方が不思議なので、案外達成感がない。対して、私にはできない一方で皆ができることは、疎外感が拭き取られるからか、それができた際に思いがけない到達を見出す。
綺麗になったシステムキッチンを前にした私は、橋を渡り、新たな土地に足を踏み入れたような気分になった。そこには背の低いパステルカラーの花たちと、煙突のある小さな家々、そして春があった。
もしシステムキッチンを綺麗にできなかったら、私はきっといつまでも「何もできない人」に成り下がっていたことだろう。あの夜、地獄の底で途方に暮れていた私の目の前に垂らされた蜘蛛の糸の、私の反対側に誰がいたのかは皆目見当がつかないが、私はその誰かに深く感謝した。
え?
ダイニングテーブルはどうした、って…?それはもちろん、いまだ半分埋もれたままだ。
慣れないことをいっぺんにやると、熱を出してしまうからね。
でも大丈夫。私の左手は、まだきちんと蜘蛛の糸を捉えたままだから。少し休んで、次はダイニングテーブルに取り掛かることだろう。
もう「何もできない人」なんて、言わせない。
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