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1000個の思い出の1つ

香水というものを初めて意識したのはいつのことだろうか?

これから書くことは、以前クラウドファンディングに取り組んでいた際にこちらに投稿した内容だ。noteでも既にこの内容には触れていたような気がしていたのだが、どうも書いていなかったようだ。今回改めてこちらに書くにあたって、細かい部分まで思い出しながら大幅に加筆修正した。

中学生の頃、山田詠美さんの『放課後の音符(キイノート)』という短編集に出会った。手にとったのは本屋の見えるところにあったからだったが、購入に至ったのは、その中に『Sweet Basil』というストーリーが収録されているのを見つけたからだ。模試の文章で読んだのを覚えていて、気になっていたのだ。

とても素敵な短編集で、これをきっかけに私は山田詠美さんの大ファンになる。私が高校を卒業するまでに出版されていた彼女の本は、「熱血ポンちゃんシリーズ」も含めて全て読んだ。

この短編集の最後に収録されているのが、本と同タイトルの『放課後の音符(キイノート)』。この中で、お父さんが娘に『ミル』という香水をプレゼントする。フランス語で数字の1000を意味する。

これが私が香水というものの存在を初めて意識したきっかけだ。それまでも家には一応、GuerlainのMitsoukoの小さなボトルがあったが、その存在についてきちんと意識したことはなかったように思う。

この香水は小説の中で、「1000個の思い出を残していけたら」のような意味合いで描かれている。冒頭のクラウドファンディングの記事の中で、私は「もし私の香水が、誰かの1000個の思い出の、その中の1つに寄り添えたら…そんなことを考えながら、ブランドがローンチされる日のために準備をしている、今がとても幸せです。」と書いたが、その思いは今も変わらない。

小説を読んで、当時の私は、この香水がどのような香りを持っているのか知りたいと思った。存在しないであろう、山田詠美さんの頭の中だけにある香り…彼女はどんな香りを想像して、この文章を書いたのだろうか…

その香水が実在することを知ったのは、ずっと後になってからだった。冒頭の記事の中では、「大学生の時に知った」と書いたが、もしかしたらもっと後だったかもしれない。いずれにしても、香水に本格的に興味を持ち出した後のことだった。

この香水はJean Patouというフランスのブランドから発売されている。1972年、調香師Jean Kerléo(ジャン ケルレオ)によって作られた。彼はOsmothèqueという香水の図書館の創立者でもある。偉大な調香師の1人だ。

少し脱線するが、ルカ・トゥリンとタニア・サンチェスによる『世界香水ガイド III』の中に、この調香師に関する面白い記述があるので、ここに引用する。Ambre Céruléenという、Pierre Guillaumeの香水の評価の部分。

ピエール ギョームは2002年以降、94本の香水を発表している。およそ2ヶ月に一本のペースだから、そのすべての出来がいい可能性はゼロに近い。ちなみに、ジャン ケルレオが1972年から2013年までに手掛けた香水は14種類。こうした新作ラッシュは派手に注目されはするが、どうでもいい香水がばらまかれていくだけだ。

ルカ・トゥリン、タニア・サンチェス 『世界香水ガイド III』

Jean KerléoがJean Patouを去ったのは確か1999年で、それ以降ほとんど香水の制作は行っていないはずだが、いずれにしてもJean Patouにいた1967年から1999年の間でも10本程度の香水しか手掛けていない。

さて、時は流れて、私はフランスにいて、Jean-Michel Duriez Parisという香水ブランドでインターンをしている。その時のことは、下記の記事にまとめている。

インターン中のある日、私は上司のギョームの家で仕事をしていた。
ギョームは元々P&GプレステージというP&Gの香水専門の子会社で、マーケティングチームのそこそこ偉いポジションにいた。結局P&Gプレステージはあまり業績が振るわず、2016年にCotyに売却されることとなり、その際にそこに調香師として在籍していたJean-Michel Duriezと共に独立するのだ。

ギョームの家にはP&G時代の香水が山のようにあった。「ユータは香水好きなんでしょ?」と、家の倉庫からゴソゴソといろいろな香水を取り出してきてくれた。P&Gの非売品の香水や、ラコステ、D&G、Rochasあたりの香水をゴッソリともらった。
それだけで大変ホクホクしていたのだが、「そうだ、良いものがある。これは心から香水が好きな人が持っているべきだ」と言って、自分の部屋の奥から、それまでもらった香水とは違い、きちんとした箱に入っていた香水を持ってきてくれた。

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Jean Patouのミルだった。

ミルを作った調香師Jean Kerléoが、1999年にJean Patouを去る際に後継者に指名したのが、Jean-Michel Duriezだった。程なくしてJean PatouはP&Gに買収されることとなる。

興奮しながらギョームに、中学生の頃に読んだ小説の中にミルが出てきたことを説明した。「不思議な出会いがあるものだね」と笑顔でギョームに言われたのをとても鮮明に覚えている。

今、私はそのJean-Michel Duriezと共に香水を作り、ブランドを出そうとしている。世の中は本当に不思議なことであふれている。

この記事を書きながら、左手の甲につけたミルを何度も嗅いでいる。つけたての香りを正直私はうまく受け止められないのだが、少し時間が経ってくると、とても美しい香りになる。

簡単にいうと、ウッディフローラルだ。私にはウッディな側面の方が少しだけ強く感じられる。ウッディの中心はサンダルウッド、フローラルの中心は金木犀だが、もちろん様々な香料がその周りを取り巻いている。

この香りは私に、コシのある、軽くて柔らかい反物を思わせる。完全にツルツルではなく、少しだけ手触りがあるのだが、それが逆に安心感を与える。色はシルバーに近い灰色で、光の関係で、ところどころ金色に光って見える。きっとこの反物の作り手は、朝日をキラキラと照り返す、穏やかな川面をイメージしながら作っていたに違いない。

穏やかな川の流れに乗ってたどり着いたパリで起こった、思いがけない出来事だった。これからこの川の流れに従っていくと、どんなコトと出会うのだろうか。そしてそれらは、どんな思い出を作ってくれるのだろうか…楽しみでもあり、怖くもあるが、素敵な香りと一緒ならきっと大丈夫、そう思っている。

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