三連休に死を思う
心休まることのない三連休が終わろうとしている。
穏やかでなかった理由は、今日月曜日の午前中のミーティングだ。オフィス件自宅の弊社にて行われる予定だったため大規模な整理整頓が必要だった上に、どういった内容になるか全く予想できなかったので何を準備するべきかもわからず、私は昨日及び一昨日を、あれやこれやをしているようで、結局のところただぼんやりと過ごしてしまった。おまけにミーティングは英語で行われる予定だった。
結果的にミーティング自体は無事に終えることができたのだが、この三連休にこなす予定だった仕事は全て後ろ倒しにされ、私は今、途方に暮れている。
どうしよう。明日からまたいつも通りの忙しい平日なのに…
ブランドを立ち上げて5年目になるが、私はこんなふうに、まだ仕事のリズムをうまく掴めていない。いたずらに過ぎていく時間を、ただ指を咥えながら眺めていることも多々ある。ちょっとした工夫でもっと効率よく動けるはずなのに、私にはそれが些か難しく感じる。理屈ではやるべきだとわかっているあれこれの中に、どう頑張っても身体がいうことを聞いてくれないものがいくつか紛れ込んでいる。それがたった数個あるだけで、私の余裕は全て消えてしまうのだ。
どうしたもんだろうか。
ところで、この三連休中、私はみっつの“間接的な死”に触れた。
りんごを果物ナイフで切る際に、誤って左手中指の腹に刃を入れてしまった。刹那の刺すような嫌な痛みの後、大粒の赤黒い液体が最後まで捻り切らなかった蛇口から滴り落ちる水滴のように溢れた。それは三連休に感じた最初の“間接的な死”だった。思いの外深かった傷口からプツプツと生まれては流れ落ちる玉を眺めながら、もしこのまま出るに任せていたら私はいつかすっからかんになってしまうのだろうか、と想像していた。
ふたつ目の“間接的な死”とは家具屋さんで鉢合わせた。友人が南青山の家具屋さんでヴィンテージポスターのポップアップストアを開催していたので会いに行った。彼からは今までも何枚かのポスターを購入している。その日は「いいものがあったら購入しよう」程度の軽い気持ちで赴いたら、思いがけずアンディ・ウォーホルの展示会のポスターにグッときてしまった。同じ電気椅子の写真が横に3つ、縦に4つ、の合計12枚、様々な色で印刷されたもので、大量生産・大量消費というポップさと死の重さの対比に惹かれたのだ。
いや、きっとそうではない。私はその本来大きく異なるはずのふたつに、共通する何かを感じてしまったのだ。大量に生産し、大量に消費をすることを是として疑わない社会は、人権を無視した合法化された殺人と重なる部分があるように、その時の私には思われたのだ。
2001年にベルリンの新ナショナルギャラリーで開催された展示会のポスターだった。奇しくも昨年、ベルリンの新ナショナルギャラリーでウォーホルの特別展を観たことも、購買の後押しになったことを付記しておこう。
最後の“間接的な死”は、友人との会話の中で姿を現した。私たちはとある真面目なテーマについて話していて、その中で私が母の死を引き合いに出したのだ。2年前のちょうど今頃、母の最期の1ヶ月半を一緒に過ごした中で私が得た結論は、死は標準的な状態で、生こそが特殊なのである、というものだった。生といういわば“ボーナスステージ”を私たちは、最悪の場合には“能動的な死”という選択をとれるスイッチを左手に握りしめながら、いつ訪れるかわからない“受動的な死”になんとなく怯えながら過ごしているのだ。
そんなふうに考えると、私においては幾分心が軽くなるのだが、友人にこの話をするべきだったのかは、いまだによくわからないでいる。
みっつの“間接的な死”とともに三連休が終わりを迎えるその頃、私は“直接的な死”にほんの少し近づいていた。
それは今宵新宿西口あたりを自転車で走っていた時のこと。右から合流してきたタクシーが小さなトンネルの細いカーブに差し掛かったところで急に幅寄せをしてきたのだ。合流時点で、自転車に敵意を持った運転をしていたことになんとなく気づいていたので注意を払っていたからよかったものの、もしそこできちんと減速できていなかったら、タクシーと壁の間に挟まれていただろう。下手すると結構酷い事故になって、私は死んでしまっていたかもしれない。
注意を払っていた、とはいっても、それなりに危ない状況だったのだが、その瞬間私の頭には、どういうわけか今年まだ「あけましておめでとう」を言いに行けていない何人かの友人の顔が浮かんだ。もしここで死んだら、その「あけましておめでとう」はどこへ行ってしまっていたのだろう。
その後は無事に家にたどり着くことができた。特に危険な目にも合わなかった。よかった。
死は思いの外私の近くにいるようだ。それが私を捉える日が近いのかはよくわからないが、いずれにしても少しの踏み外しで私は“ボーナスステージ”から弾き出されることになるだろう。
この“ボーナスステージ”の中で私がやりたかったことのひとつが、新年の挨拶だったというのは些かの驚きを持って受け取れるが、そうだとわかれば早いうちに「あけましておめでとう」を言いに行こう。そもそも新年の雰囲気ももうだいぶ枯れかかっているのだから。
そんなふうに三連休は幕を閉じた。とりあえず私は生きている。今夜は早く寝よう。新たな死が私に近づくその前に、夢の世界に逃げてしまうのだ。
【çanoma公式web】
【çanoma Instagram】
@canoma_parfum
#サノマ #香水 #フレグランス #ニッチフレグランス #canoma #canoma_parfum #パリ
#フランス