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「高学歴が本気になったら凡人に勝てる分野はない」は本当か

ひろゆき氏の以下のツイートが話題になったらしい。

M1連覇令和ロマンのネタの作り方と受け入れられる為の人体改造とかは、本当に勉強になるんだけど、、 高校野球で慶應高校が優勝して、お笑いのM1も慶應大卒が優勝。 『スポーツとお笑いでは、ならず者が一発逆転!』という夢を「高学歴が本気になったら凡人が勝てる分野はない」という現実で打ち砕いた

ひろゆき氏X

「高学歴が本気になったら凡人に勝てる分野はない」というのは思い切った発言だが、なんとなくわかるような気はする。もちろん、全ての高学歴が強いわけではないし、高学歴に勝てない人がいないというわけでもない。ただ確かなのは、高学歴が活躍できる分野が以前に増して広がった、ということだろう。


東大の建築学科出身、卒業後はベンチャー企業でバリバリ働き、今はファッション業界に身を置いている友人が、以前こんなことを口にしていた。

「左脳系の人が、今どんどん右脳系の分野で活躍している」

発言の主旨は、体系だった分野にいた人が、感覚やセンスといった“曖昧模糊”としたものでパフォーマンスを発揮するようになっている、ということだと思う。かくいう私も、「金融機関から香水作り」という、友人の発言通りの動きをしているわけだし。

「左脳系」と「高学歴」は別物だし、友人の発言は「左脳系」が優っているとまでは言い切っていないが、ひろゆき氏のツイートと友人の発言にはかなり似ている部分があるように思料する。

つまり、「学校教育の中で評価されてきた人々が、それまでそうでない人々の活躍の場というイメージがあったジャンルで活躍している」ということだ。

なぜそうなっているのかについて、私なりに考えたことを今日は綴っていきたいと思う。


それまでの高学歴保持者は、よりロジカルシンキングが強く求められるジャンルで活躍してきた。商社、弁護士、医者、官僚、金融機関、コンサルティングファーム等がその主戦場だった。

その傾向は今も昔も大きくは変わらない一方で、かつてと比べると高学歴の職業選択はかなり自由になったように思う。

私の経験から一例を挙げよう。

私は学部時代と大学院時代の2回、新卒での就活を経験している。前者が2008年から2009年、後者が2010年から2011年にかけてだ。

それらの就活には大きな違いがあった。前者の時はあまり名前があがらなかったふたつの企業が、後者の際には大きく躍進したのだ。

DeNAとGREEである。どちらも当時急成長中のベンチャー企業だ。これらふたつの企業を中心に、成長中のベンチャー企業に新卒で入社することが、大雑把にいうと“イケてる”とみなされるようになったのだ。

「いい大学に行けばどんな企業にも就職できる」というのはふたつの意味で正しくない。どんなに大学名がピカピカでも、当の本人がイマイチであれば手の届かない会社は出てくる、というのはもちろんのこと、その大学名が“足枷”になり、“就職偏差値”の低いところには行きにくくなる、ということもある。親や周りから「もったいない」と言われかねなかったり、本人も「いい大学に行ったからには」と自身に“呪い”をかけてしまうのだ。

ベンチャー企業への就職が一流大学の学生に人気が出たことは、既存の価値観が崩れ始めたきっかけとなったのかもしれない。いずれにしても、終身雇用が崩壊し、転職が一般的になった今、就職の自由度は以前と比べると大きくなっているはずだ。先のベンチャー企業の例以降、YouTuberやインフルエンサー等、新たな働き方が多数登場したり、SNS等の発達によりフリーランスでの活動がしやすくなったことも、その要因として挙げられるだろう。

今までの高学歴保持者は、職業選択にある意味“不自由”があった。これによって、ひろゆき氏のツイートの中で言及されているような「スポーツとお笑い」といった高学歴保持者のほとんどいない分野が形成されていた。それが徐々に“自由化”されていることにより、そういったジャンルにも高学歴保持者が流入するようになった、というのが、まずは前提にありそうだ。


ところで、「左脳派」と「右脳派」の違いを簡単に表現するならばどうなるだろうか。私は「論理」と「感覚」であると思う。前者は論理的に体系立てて考えることが得意であり、後者はセンスや経験を頼りにする。

これらを総合すると、高学歴保持者が今までとは違った分野で活躍している背景は、ひろゆき氏のいうところの「スポーツとお笑い」といった業界(それ以外にもアートやファッションなども入るだろう)においては、それまで「右脳派」の人ばかりだったため、あまり体系だった解釈が行われてこず、センスや経験が席巻していたが、そこに「左脳派」の人々が入ってきて、ロジカルな考え方を持ち込み、さらにそれらの人々が経験を身につけたことで、センスや経験のみに頼っていた「右脳派」の人々を打ち負かすようになった、ということなのではないだろうか。帰納的なアプローチに頼っていた集団に、演繹的な発想を持ち込んだ人が無双している、と言い換えてもいいかもしれない。


ひとつのジャンルというものは「要素」と「構造」に大きく分けられる。前者は個別具体的な事例であり、後者は要素同士の関連性である。今までの話をわかりやすくすると、高学歴な「左脳派」の強みは構造把握であり、彼ら彼女らは全体を俯瞰して見ることに慣れているが、その上で個別事象である要素までカバーされたら、当然普通の「右脳派」は太刀打ちできないだろう、ということだ。


「右脳派」「左脳派」「高学歴」等の意味を明確にしなかったこともあり、少々荒っぽい議論になったが、私の考えが大まかに伝わっただろうか。このような見方もある、程度に捉えてもらえれば幸いである。


ちなみに、私は「高学歴が本気になったら凡人に勝てる分野はない」というのは少々言い過ぎであるように思う。なぜならば高学歴に特徴的な「体系立った思考」というのは、時として足枷になりうるからだ。アート性が高いジャンルにおいては、その体系から抜け出すことが求められることが多々ある。短歌は特にいい例だと思うし、ファッションや香水もそういった側面は強い。

ただし、これまで以上に高学歴保持者が活躍するジャンルは拡大するということは、ありそうに思われる。それがアート性の高い分野に新たな風をもたらすことを、私はひそかに期待している。


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