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創業243年 小彌太の歴史

こんにちは。
株式会社小彌太の小瀬川です。
我が社の歴史をご紹介します。

創業は江戸時代、天明元年(1781年)とされています。
先祖代々誂え(あつらえ)、名入れ染色を生業としてきました。
「誂え」とはつまりオーダーメイドの事。お客様の要望に沿って、袢纏や旗幕、郷土芸能物品、その他タオルや手拭いなど生地ものを染めたり印刷したりしてきました。

先代たち

初代 甚助
二代 庄之助(天保七年/1836)
三代 梅木小彌太(安政二年/1855)
四代 豊治(明治六年/1873)
五代 熊之助(大正四年/1915)
六代 春蔵(昭和十八年/1943)
七代 清治(昭和四十八年/1973)
八代 小瀬川小彌太
九代 弘樹
十代 雄太

私で十代目となります。名前右の和暦/西暦は亡くなった年ですが、初代の没年は正確には分からず、奥さん(「甚介妻」という表記でした)の亡くなった年が天明四年/1785年という記録があったため、創業を天明元年としました。

240年前と聞いてもパッとイメージしづらいですが、1781年頃は以下のような出来事がありました。
安永五年/1776年 アメリカ独立戦争勃発
天明二年/1782年 浅間山噴火、天明の大飢饉
天明七年/1787年 寛政の改革

そして三代目の梅木小彌太さんの時代、南部の殿様に染め物を献上したといわれています。

梅木の"梅"と小彌太の"小"から「小梅」ロゴを作りました。

苦難の時代

代々染め物を手がけてきましたが、染めだけでは食べていけませんでした。戦争の時代に入り、仕事が減り、染め技術も落ちていきます。
昔は消防袢纏を上手く染めてこそ「染め屋」と言われていました。しかし小彌太の設備はボロボロで、職人の腕も頭もなく、消防袢纏の黒が黒にならない、赤が赤にならない状況だったそうです。
せっかくお仕事をいただいても、何度も何度もやり直し、家計は火の車でした。
ただこの時、七代目の清治さんが花巻町議、市議会議員を務めていたことから、八代目の小瀬川小彌太さんは選挙物品の製作を始めます。
こうして選挙物品の売上が伸びていき、1955年、選挙部門を立ち上げました。
1960年7月1日、株式会社として法人化。

消防袢纏
選挙の候補者表示物、通称「七つ道具」
選挙用ポスター掲示板

ここから工業写真事業、サイン(看板)事業、エクスラン(旗)事業など、事業部を増やしていきます。
小彌太さんは多額の資金をかけて多くの失敗を経たそうで、工業写真事業からは撤退しています。
しかしサイン事業について現在では各種看板や車両ラッピングを手がけ、エクスラン事業は岩手県内のみならず全国の国旗(日の丸)や社旗を染めています。

営業不足

2020年のコロナ前まで、売上構成比は選挙5割、染め印刷5割でした。
しかし現在では選挙7割、染め印刷3割と、染め物の注文は減り続けています。コロナショックで売上がガクンと落ちた時期はありますが、コロナが明けても下がり続けているということは、原因は明らかに営業不足。
選挙の方も、4年に一度あるとはいえ、人口減で注文数量は一貫して減少傾向。デジタル化の波もあり、いつ「もう作らなくていいよ」と言われるか分かりません。
そうならないためには、お客様のもとに何度も顔を出し、ニーズを汲み取り、商品の改善や新商品開発をしなければなりません。

このことから、しばらく営業メンバー2人体制だったところ、6月から5人体制に増やしました。
岩手県内でひたすら回ってまいります。

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