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カオスの微笑は正義のために
人はみな英雄がスキだ、そういうボク自身も。
そもそも「英雄」は価値が高い、そりゃそうだ。英雄は英雄でしかないから。それ以上でもそれ以下でもない、ただただ高潔な存在としていつもそこにいる。
だからハッキリ言おう、ボクは「そいつ」に嫌気がさしている。ウザいんだ。
いつも絶妙なタイミングで顔を出し、会心の笑みを返してくる。おせっかい甚だしい。英雄の本質は本当にいつも「ソコ」にいるんだろうか、疑問だらけで仕方ない。
It is to be prayed that the mind be sound in a sound body
健やかな身体に健やかな魂が願われるべきである
デキムス・ユニウス・ユウェナリス/『風刺詩集 (Satvrae) 』より
英雄の英雄
問題は英雄を野放しにしていることなのか、英雄を監視する誰かが管理を怠ったせいなのか。問題が問題を引き寄せる。
最近では英雄像も変わってきた。ジャンプ誌では「僕のヒーローアカデミア」をはじめ、英雄を再定義する風潮がある。
確かに残念な結果だ。馬鹿をしたと言われても仕方のない結果だ…でもな、余計なお世話ってのは、ヒーローの本質でもある。
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ヒーローってのは本来奉仕活動!地味だ何だと言われても!そこはブレちゃあいかんのさ…。
僕のヒーローアカデミア/オールマイト
また面にヒーロー感を出さず、キャラクターの内面で英雄像を探す作品もある。必ずどことなく「ヒーローらしさ」はくっ付いてくるものなのかもしれない。
種族の壁を壊せるのは…愛だけだよ。
BEASTARS/レゴシ
時代によって英雄像は変わるし、それに伴って悪の本質も決まる。そんなこと考えながらマンガや映画に登場するキャラクターに一喜一憂するのは悪くない。
ボクが今現在こうして書いている内容も、英雄を英雄のまま複雑なものにしたくない人からしてみれば必要ない。英雄なんて呼ぶものはそんなもんだ。誰かが勝手に定義できるものでないからこそ「ソコ」にいられる。
偽善っぽい何か
ここらへんで英雄が一体何なのかをとりあえずで落ち着かせる必要がある。
結局のところ、英雄的な何かはいつも何かを助けたり誰かを救ったりしてきた。そのことについては何の変りもないと思う。
ただ英雄にもアナザーストーリー的なものがあって、視点を変えれば悪の側にだってなる。
I don't, I don't want to kill you! What would I do without you? Go back to ripping off mob dealers? No, no, NO! No. You... you... complete me
あんたを殺したくなんかないさ!おまえがいなくなったら俺はどうすればいい?ギャングからかすめ取る仕事に逆戻りか?ダメだ、ダメだ・・・おまえが、おれを完璧なものにするんだ
ダークナイト/ジョーカー
Remember, with great power comes great responsibility.
忘れるな。大いなる力には、大いなる責任が伴う
スパイダーマン/ベンおじさん
へこたれ、罵倒され、存在すら必要とされないのはヒーローもボクらと何ら変わらない。
唯一のギャップは、「それでも…」、と言いながら歯を食いしばり血反吐を吐きながら立ち向かう姿勢がいつでも観る者に勇気や感動を残すこと。そこに魅力を感じてしまうから何とも言えない。
あれ、何を言いたかったんだっけ...。そろそろ立ち止まる必要がありそうだ。
質と管理を怠るな
極論を言ってしまえば、英雄なんて概念がそもそもの話に必要ない。
必要なのは地の底に埋まってるに違いのなさが過ぎる。
表面で物事を解決できたのなら悪は存在しない。解決できないから悪が存在してるんじゃないのか。
この英雄論的で哲学じみた問題に言いたいことは山ほどある。きっとこれからも未来永劫に解決されないことは目に見えている。
一つ言い残したいことがあるとすれば、
ボクらはいつでも彼らの監視役になり、監視される役にもなり得る
この言葉に今回のところは終止符を打ちたい。
日誌/ロールシャッハ記
1985年10月12日
今夜、ニューヨークでコメディアンが死んだ。
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