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「聴く力」が無いと思っていたけど、それは人を楽しませたいという思いからだった。
こんにちは。
この記事は、人の話を聴くのに向いていないと思っていた僕が、対話をしたことによって「相手が主人公になる聴き方」に行きつく話です。
「自分は話すことに向いていない」「聴くことに向いていない」など思っている方には、面白く読んでいただけるかもしれません。
在宅ワーカーになり、ほとんど人と話さなくなった、とある男性の話です。
話が面白くなれば、仕事がもらえるかもしれない
昨年、人の話を聴くことがうまくなりたくて、対話の勉強をはじめました。
その昔、どうしても仕事がうまくいかず、どうやったらうまく仕事がもらえるようになるのか、真剣に考えたことがあるんです。
仕事上の技術や知識を身に付けることは、もちろん大切なことなのですが、周りを見てると「かなわない」と思うことが増えてきた時でした。隣の芝生は永遠に青いままなのですが、そのことにはまだ気づいていなかったのです。
そこで、僕は「話が面白くなれば、仕事がもらえるかもしれない」と、努力をし始めます。努力の方向性が違う方に向かっていますが、一旦見守りましょう。人間性を高める、まさに芸人さん的な発想です。
ちょうどテレビでは「ひな壇」や「平場」など、独特な業界用語で呼ばれる、トーク番組が増えてきていた時代です。そこで実践されていることを、徐々に取り込みはじめます。その一部を紹介します。
会話の入り口の作り方
「隙をつくる」という手法があります。ソファの座る部分の隙間もそうですが、人は隙間をみつけると、そこに手をいれたくなります。
たとえば、経済学者の成田悠輔さん。
丸と四角メガネがトレードマーク。トーク番組で、他の出演者から「そのメガネどこで売ってるんですか?」と、聞かれています。
そう聞かれたときに、返すコメントをあらかじめ決めておく。それが気の利いたコメントなら、なお良いでしょう。そうすることで、場も盛り上がるし、聞いてきた本人も喜びます。
「派手なメガネをかける」というのは、釣りで例えるなら「撒き餌」。そこに食いついてきた相手に対して、鉄板コメントを返すことで、「話が面白いやつ」という、バフをかけることができます。
他にも「ピンクベストを着る」や「金髪で赤い服を着る」など、様々な手法がいまも行われています。
ちなみに、私は、銀色のエナメルのサンダルを履くということをしていました。「ラグジュアリーですね」と言ってくれる人もいれば「お母さんの履いてきたの?」と言われたりと、会話の入り口をスムーズに展開することができました。
「なんで、エナメルのサンダルを履いてるんですか?」
私は心の中で、こうべを垂れます。聞いてくれてありがとうございます。
そう、私がなんでエナメルのサンダルを履いているかというと、私、映画をみるのがすごい好きで、昔『下妻物語』という映画がございまして、その中に、阿部サダヲ演じる「一角獣の龍二」が「エナメルの靴の人」と呼ばれる描写があり、自分も「エナメルの靴の人」と呼ばれたかったので履いています。
みたいなことを返していました。
(ちなみに、銀色のエナメルのサンダルは、生産終了してしまい、現在の私は、普通の靴の人です)
ポイントは、あまり奇抜なものにしないこと。撒き餌のフックが鋭すぎると、逆に警戒をされてしまいます。また、それに付随するエピソードが話せることも大切です。
せっかく話しかけてくれたにも関わらず、自分のことを話せないアイテムを選択してしまうと、チャンスが逃げていきます。
また、これらのことを相手がしている可能性があります。相手をしっかり見たときに、フックになるポイントがあるかもしれません。魅力的なネイル、個性的ネクタイピン、スマホケースにはさんである推しの写真など、会話の入り口があるかもしれません。
話の尺をコントロールする
一緒に電車を待っているときや、エレベーターを待っている時、黙ってしまうことがあります。
間を埋めようと、話はじめるんですけど、ちょうど話のサビくらいのところで、タイミング悪く、電車が警笛をならしてホームに入ってきたり、エレベーターが目的のフロアについてしまったりすることがあります。
実に、間が悪い出来事です。
こんな出来事を回避するために、「ちょっと一本電話いれてから帰ります」など、一緒に行動することから逃げるという選択肢もありなのですが、そこは最終手段にしましょう。
大事なのは、”話の尺”です。
エレベーターを待っているときなんて30秒くらい。なので、30秒で話せるトークを予め用意しておきましょう。今日は何の日?とか使いやすいです。
ただ、何本も話をストックするというのは、難しいかもしれません。通常の業務もありますので。なので、自分の持っている鉄板トークを30秒、1分、2分バージョンと、尺を変えて話せるようにしておきます。
時間がないときは、結論から話してもいいですし、時間があるときは助走をつけて話していくなど、ある程度、コントロールできると良いです。
また大人数で話すときは、ひとりで話しすぎないことも重要です。
学校の体育の授業でサッカーとかバスケットボールとかやりませんでしたか?チーム内でパスでボールを回して、ゴールを狙うスポーツです。
ときどき、チームメイトを無視して一人でドリブルして、ゴールを決める人がいました。それでチームが勝てばなにも言わないんですが、負けたとき、もやもやしますよね。
会議室や居酒屋などで大人数で話す時、まるで沈みゆく船の上で話しているようなものだと思っています。トークというボールをひとりで持ちすぎると、船はどんどん沈んでいきます。少しでも浮上させるには、周りの人に、パスを回すこと。
とにかく、自分の話をしすぎないこと。
そのときに、あまり話していない人に対して、話題をふることで、無事に沈みゆく船から生還できます。結果、その場所や時間が盛り上がり「話が面白いやつ」という、バフをかけることができます。
相手のことを断定しない
明確にキライだと言えるものがあります。
朝の占いコーナーです。
子供のころ、朝のニュースで、ちょうど家をでる時間に、星座占いがカウントダウン形式で発表されます。アナウンサーの「ごめんなさい」という言葉とともに、テレビに表示される。そこで自分の星座が12位だったとき、1日もやもやした気持ちで過ごすのです。
今日どれだけ幸せなことがあっても、12位の幸せだと感じてしまう。
時代は流れ、多様化と言われている昨今、占いに限らず、いまは本当に多くのカテゴリが生まれている。それによって、救われている人もいる中で、それを押し付けるようなことはしてはいけない。
そういうものは、あくまで「自分の居場所」を理解するものだから。
相手のことを決めつけない。誰かが用意した枠に押し込めるようなコミュニケーションはしないこと。
または、誰かが話したことを、最後に一言でまとめて、不用意なラベリングをしないこと。
当時の僕は、面白いと思われたいことから、心配りの足りないラベリングをしていたことがあります。誰かが傷ついた上になりたつ関係は、ちっとも嬉しくありません。
どこからがハラスメントとか、どこからがコンプライアンスとか言われる時代ですが、全ては、相手のことを断定し、決めつけるところからはじまるのではないかと思っています。
断定していいのは、自分の気持ちだけかもしれません。
だって、自分が好きなもの、自分が感じてよかったものは、誰にも否定されないのだから。
自分が主人公になる聴き方
こうして「話が面白くなれば、仕事がもらえるかもしれない」という思いからはじまった僕の努力は実を結び、それなりに話の面白い人にはなれた気がしています(自分で言うな)
だけど、ここであることを思ってしまうのです。
「あれ?もう何年も一緒に仕事してるのに、みんなのこと、全然知らない」
それもそのはず、僕は、人の話を全然聴いていなかったのです。
厳密には、聞いてはいたんです。だけど、それは、まるで、大縄跳びで引っかからないように、タイミング良く入ろうとして、気をつけて縄をみているかのように。目の前で行われている会話すべてを、拍子としてしか聞いていない自分に気づいたのです。
これはよくない。
それから、僕は、人の話を聴くレッスンをはじめるのです。「対話」ということに興味があり、対話の勉強をはじめます。
結論からいうと、挫折の連続でした。
今、考えればわかるのですが、当時の僕は、「自分が主人公になる聴き方」をしていたのです。
話してくれた内容に対して、少しユーモアのある感想を伝えてしまう。また、違う視点から「こういう風に思っていたのではないのか?」など、自分の主観的な思いを乗せて、話してしまう。
不必要にリアクションを大きくしてしまったり、どうやったら「相手を楽しませられるだろう」という観点から、話を聴いていたのです。
たとえるなら、完全に「大喜利」のそれでした。
相手の話が「お題」で、相槌が「回答」。これは一番やってはダメなやつです。だけど、相手を楽しませたいという思いが、ただ純粋に人の話を聴くことを妨害していきました。
対話の練習をしはじめて、半年が経ったころ、純粋に人の話をきくことに努めてきたのですが、やっぱり、わずかに、どこか明るい気持ちで帰ってほしいと思い「きっとこう言ってほしいだろう」ということを、苦し紛れに伝えてしまいました。
後のフィードバックで、「ユースケさんにこう言われて嬉しかった」と伝えられたとき「あぁ、人の話を聴くことに向いていない」と思い、勉強をやめました。
後日、友達にこれらのことを話したら、「まぁ、ユースケさんは、話は面白いから、人の話を聴くタイプじゃないかもね」と言われました。ちょっと傷つきました。「断定するんじゃないぞ」とは言えませんでした。
相手が主人公になる聴き方
それから季節が流れて、年末がやってきた。
一本のメールが届く。それは、以前申し込んでおいた講座のリマインドメール。
「対話」に興味があったときに、申し込んでおいた「メンタルコーチ」の講座の連絡だった。
正直、受けようか迷ったけど、お金も振り込んでしまっているし、受けることにした。もったいない精神が、もうすでに終わってしまったものの興味に勝った瞬間。
講座に参加した中で、とても興味深い話がきけた。
たとえば、赤ちゃんが泣いているとする。
それは、お腹が減っているから泣いているのだが、だれもそのことに気づかない。赤ちゃんは、気づいてもらうために、さらに大きく泣く。それでもだれもそのことに気づかない。しばらくして、気づいてもらえないことを認識した赤ちゃんは、どうするのか。
なんと、泣くのをやめてしまう。あきらめてしまうのだ。
これが、大人にも同じことが起こる。
しかし、人間は生きていかなければならないので、結果どうするのか。
自分を責めはじめてしまう。そして、どんどん不快な状態になっていく。
不快な状態になったとき、すぐにでも「快」の状態になりたい。
だから、暴飲暴食してしまったり、ギャンブルに逃げたり、お酒を飲みすぎてしまったりする。これらはすべて、お手軽に「快」の状態になれる、短期的な解消方法。
この話の後のワークで、参加者の方達と、苦悩したとき、どうやって「快」の状態への対処しているのかについて、ブレイクアウトルームに分かれて、話し合った。
僕は、うまく話ができなかった。空回りしていた。なんでうまく話せないんだろう。そう思った時、気づいたことがある。
ブレイクアウトルームに分かれると、設定された時間がカウントダウンされる。その時間がカウントダウンされるのをみて、どんどん焦ってくる。
4人いるから、一人持ち時間は5分で、そうするといま時間が押しているから、僕は、2分ぐらいでまとめなきゃいけない。そんなことを考えていた。
本来、考えるべきことは、どうやって自分のメンタルを整えることを共有する場なのに、全然違うことを考えている。
つまり、僕は、いつも時間を気にしてコミュニケーションをしていた。
このワークが時間内に終わらなくても、延長されることもあるだろう。だけど、それが前提ではなく、「決められたこの時間、この瞬間を楽しいものにしたい」「待たせてはいけない」誰にも頼まれていない思いが、人の話を聴くということを妨げていたことに気づいた。
必要だったのは、長期的なコミュニケーション。
それを意識するだけで、この瞬間だけ頑張ろうなんて思わなくていい、わざわざ大喜利的な発想なんてしなくていい。自然とかける言葉も変わってくる。
相手が主人公になる聴き方ができる。そんな確信が芽生えた。
さいごに
後日、この講座で発見したできごとを、芸人の友達に話そうと思って、呑み会のセッティングをした。
「話したいことがあったんだよ」と僕が伝えると「話したいことを決めて、呑みに誘うやつ珍しいなぁ」と言われた。
結局、そのときも、僕が多めに話してしまったのだが、これらのことを聞いてもらったのだ。
そして、それに対して、どう思うのかを聞いてみたかった。
「話すこと」と「聴くこと」は似てる。
「人の話を聴くことが向いてない」と思っていたが、それはお互いの関係性によって、おおいに変わる。その場かぎりの瞬断的な関係に、僕が消耗しきっていただけだったのだ。
その人と、どんな未来を築いていきたいかで、自ずと「聴ける」し「話せる」と思っている。
おしまい。