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不完全な自分を見つめる

この写真の盆栽に引かれるようにカフェスペースの奥の方にある席に座りました。

パーツのひとつひとつを近くで見たら、正直なところ美しいとは言えない部分もある。
でも、少し枯れているところや、イビツな形をした部分なども含めて、トータルでとても美しいなぁと感じた。

仮にこの盆栽が、すべて美しく整ったパーツで出来上がっていたらどうだろうか?
見た目はきらびやかで高級感もあるかもしれない。
でも、どこか無機質で、不自然な感じがしてしまうような気がする。
たぶんそういうものは、その瞬間感動することはあるものの、すぐに飽きられしまうのではないだろうか?

人間の持つ魅力にも同じようなことが言えると僕は思います。

かっこいいんだけど、どこかお茶目。
完璧のように見えて、どこか抜けている。

そんな、一見アンバランスかのように思われる部分が、意外にも人に愛されてしまったりする。


きっと盆栽も、そんな作品は自然な魅力が出て、長く愛されていくのではないかなぁと僕は思います。

完全な自分じゃなきゃだめ?


他者と比べて秀でていたい。
孤独を感じたくない。
自分が独占したい。

人間の欲は尽きることはありません。

別にね、無理に聖人君主になろうとしなくていいんだと思います。
我慢すればするほど、実は自分の心が狭くなっていくしね。

かといって、わがままし放題でいいかというと、それはそれでいけばいくほど、誰かの尊厳を傷つけるでしょう。

たぶん、この自分を大事にしながら、他者も大事にするバランスがとても大切だとは思うのですが、まぁこの感覚を掴むのがとても難しいです。
大体、どっちかに寄りすぎてしまうんですよね。

でも、なんで寄りすぎてしまうのかな?ってよくよく見てみると、原因が自分自身じゃなかったりする。
自分以外の誰かが、何かが、あなたの頭の中でなかなかに強い存在感を放ってくれているから、ついそいつに大きく影響を受けて、自分の人生の選択をしてしまう。

決して、その存在を否定しろというわけでないです。
それはそれでたぶんしんどいと思う。だって、これまでの自分を支えてくれた大事な価値観のひとつだからね。
それを否定しちゃったら、まるで過去の自分を否定しちゃうように感じると思う。

その価値観は、きっと”理想の自分”になれるように、あなたを応援してきてくれたのではないでしょうか?
だから、引き続き理想の自分に近づいていけるよう、頑張っていけばいいと思う。

ただ、そこだけになっちゃうと、”理想の自分で在るために隠しておきたい自分”を、置いてけぼりにしてしまう。
この子も自分だからね。だから決して否定しないであげて欲しいんです。

この子はこの子で、自分として生きたがってるんです。
だから、理想のために強引に押さえつけてえしまったら、どこかで暴れ出しちゃうかもしれないんです。
そして、自分や他者を傷つけてしまうんです。

じゃぁどうしたらいいんだよ!?って話ですが、
まぁ、どっちかが正しいって決めつけなければいいんじゃないでしょうか?

自分の中で、どっちがが正しい!ってなっちゃってると、他者にもそれを課してしまって、かえって人間関係がこじれますしね。。

理想の自分を追い求めつつ、不完全な自分を開いていく。

こんな感じでしょうか。

この両極をも受け止めていくことで、人間の器って広がっていくんじゃないかなぁと僕は思います。

まぁ大体は、どっちかに極端に片寄ってから、バランスが崩れて何かが壊れて、結果的にもう片方の存在に気づくってのが多くの人が歩む道だとは思いますが。。。ちなみに、僕はこのしんどいパターンでした、、(苦笑)

ともあれ、
自己分離でOK!二重人格でOK!

って、くらいの感じで生きていけると、自分も楽だし、他者とも心を開いて付き合っていけると思うんです。

そっちの方が、優しい社会になっていく気がしませんか?

あと、僕の専門上言えるのは、自分の両極ともを赦している人の方が間違いなく才能は伸びますね!
だから、子どもは才能開花していくのが早いんでしょうねぇ。


あなたの中には、どんなあなたと、どんなあなたがいますか?
まずは、そんな風に自分自身をゆっくり見つめてあげてくださいね。



~無工夫、平素に在れ~

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