ラプソディ・イン・ネオンブルー【トルマリンのはなし・後半】
10月の誕生石トルマリン。先日、長くなるので前半部分だけを公開した。トルマリンという鉱物の複雑怪奇さを、過去の記事を引用しつつまとめたもの。
というわけで、後半は予告どおりパライバ・トルマリンにまつわるあれこれを。
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1989年
のっけから脱線するけど、1989年はわたしにとって思い入れのある年だ。当時わたしは中学生。年明け早々に昭和が終わって平成になった。この年の2月、尊敬していた手塚治虫氏が亡くなった。同年1月にはサルバドール・ダリが、7月にヘルベルト・フォン・カラヤンがこの世を去っている。
手塚マンガは小学生の頃から大好きだった。手塚タッチでオリジナルの長編マンガを描き、中学生のうちに自費出版までした。美術ではシュルレアリスムに興味を持った。ダリはその代表格。美術の先生がもともと専攻していたとかで、くわしい話が聞けたのもおおきかった。いっぽう吹奏楽部の同級生の影響でクラシック音楽をよく聴いていたのもこの頃。カラヤンは大人気の花形指揮者だった。
だからダリ、手塚、カラヤンが続けて他界したこの年(※)は、中学生のわたしにとってショックの連続だった。しばらくは、自分が誰かのファンになるとその誰かはすぐに死んじゃうんじゃないか・・・なんて心配になったほどだ(中二病?)。
その1989年に宝石市場に彗星のごとく現れた宝石がある。それがかのパライバ・トルマリン。
高濃度の銅によって鮮やかなブルーを呈するその石がブラジル北東部のパライバ州で見つかったのは1980年代前半。そして1989年2月、国際的な見本市ツーソンミネラルショーで話題になり、わずか数日で価格が何百倍にも急上昇。30年以上が経った現在も市場価値は上がり続けていて、1カラットあたり数百万円するものも珍しくない。いまやダイヤモンドを凌ぐ価格だ。
パライバ・トルマリンの1989年の伝説的なデビューをわたしが知ったのは、もちろん宝石鑑別の仕事に就いてから。この忘れられない年号に、ちょっと運命的な縁を感じてしまう。
ネオンブルー
パライバ・トルマリンの色としてしばしば聞く”ネオンブルー”。鑑別機関によってはそう表記するところもあるかもしれないけれど、わたしの所属しているところでは単にGreenish BlueやBlue-Greenなどと見た目の色を表記するだけ。ネオンブルーの定義がはっきりしないのがその理由なんだけど、宝石業界ではこのネオンブルーという色名が定着している。
発色の良いものは確かにネオンサインみたいな眩しさを覚えるほど。この記事の見出し画像(米国本部のディスプレイ)や下に載せた書籍の写真からも”ネオン感”は伝わると思う。
それにしてもネオンブルーとは言い得て妙だ。電撃的にデビューした、そして帯電する性質のあるこのトルマリンとはとっても相性が良い。
前回、簡単にパライバ・トルマリンの色因について書いた。
鑑別機関の表記方法を方向づけるLMHCという組織がある。そのガイドラインでは、パライバ・トルマリンを「銅とマンガンを含むことによる、ブルーからグリーンの発色のトルマリン」としている(拙簡訳)。実際は銅による着色がメインでマンガンはサブといったところ。
だからブルーやグリーンでも鉄による着色のものはパライバとは呼べない。グリーンには前回書いたとおりクロム・トルマリンもあるけれど、バナジウムとクロムによる着色なのでこれもパライバとは呼べない。あくまで銅とマンガン、このふたつの元素の存在がパライバ・トルマリンの条件だ。
銅なのかどうか、それが問題だ
先に書いたようにパライバ・トルマリンはネオンブルーの美しさと希少性から市場価値がものすごく高い。したがってブルーからグリーンのトルマリンでは、パライバ・トルマリンと呼べるかどうかの判断が必要になる。つまり、主に銅による着色かどうかが問題になる。
国内の鑑別機関では、銅の濃度を表記することになっている(海外の機関ではそこまで表記しないけれど、銅とマンガンを含むことと商業名の記載はする)。パライバと呼べるかどうかの基準が銅とマンガンなのだから、その濃度を表記するのは理にかなっている。
しかしその濃度が表記されていても発色に起因しているかどうかの保証はない。あくまで検出されたことを示しているに過ぎない。いや、それなりの濃度であれば発色に寄与していることは推測できるけれど、その濃度の大小がいたずらに販売者と消費者を刺激してはいないだろうか。銅が○パーセントだから高い、みたいな話も聞くことがある。
これは国内ではないのだけど、ある検査で銅が検出されたのでパライバ・トルマリンに違いないという話が寄せられたことがあった。これまでパライバ・トルマリンの報告のなかった国で採れた石だ。しかし丁寧にデータを見ると銅が検出されたとはいえ、その濃度はかなり低い。その石は鉄の含有量がとても高く、実際は鉄による着色のブルーのトルマリンだった。
ここ数年、銅も鉄もそれなりに含むトルマリンが市場に出回るようになった。銅とマンガンだけを調べていたのでは、鉄による着色のものがパライバ・トルマリンと判断されてしまう恐れがある。
わたしは最近この問題に着手していて、先日のデンバーでの学会でも、この手の鉄の高いパライバ・トルマリンの色因を評価する方法について発表した。講演要旨はすでに公開されているし、そのうち論文も出る(鋭意執筆中)。最近のナイジェリア産のものを扱っている業界関係者には知っておいてほしい内容だ。
主たる色因については元素分析結果を変数にしたシミュレーションでかなり正確に割り出せる。鉄と銅のどちらが優勢か判断がむつかしい場合でも、可視〜近赤外光の吸収パターンから結晶軸との角度を推定すればきちんと評価することが可能だ。
処理のミステリー
ほかの価値を決める要因として、処理の有無がある。
こんにち流通しているパライバ・トルマリンに関して言えば、加熱処理がほどこされているのがほとんど。もちろんこのnoteの見出し画像の標本にあるように、加熱などしなくてもしっかりネオンブルーのものは存在している。しかし、実際のところは黒っぽいものも紫っぽいものも銅をおおく含むものであれば、加熱処理によって鮮やかなブルー〜グリーンにすることができる。
加熱によってマンガンの電荷の価数が変わり、色が変わる。パープルやピンクを作っている3価のマンガンが2価になることでパープルみがなくなり、イエローみがくわわる。銅の吸収によってもともとがブルーなので、イエローみがくわわるとグリーンがかってくるというわけ。
加熱処理されたものは、未処理のものと混じって流通している。そしてトルマリンの加熱処理は低温でなされるため、かならずしも看破できる証拠が残るわけではない。
そういった事情があって、いまのところ加熱処理の有無についてはそれほど重要視されてはいない。とはいうものの、非加熱であることがあきらかなものはかなり高額で取引されるようだ。
また、近年にわかに亀裂をめだたなくする処理(樹脂の含浸)が見られるようになってきた。含浸処理による透明度の改善が顕著であれば、それだけ価値が下がる。
さらに処理とまでは呼べないまでも、もともとのくすみを取り除くような洗浄作業もされることがあるらしい。まだ知られていない処理が試されているかもしれないし、すでに実用化されているかもしれない。パライバ・トルマリンにかぎったことではなく、宝石には常にあらたな処理の脅威がついてまわる。
トルマリンの処理については、レッドやピンクでは証拠の残らない放射線照射処理も一般的だ。パライバ・トルマリンにもないとは言い切れない。今後解明されていく可能性があるけれど、まだまだミステリーのままになっている。
産地のミステリー
処理の有無のほかにもうひとつ、産地のちがいも価値を左右する。おなじ大きさでおなじように美しくとも、パライバ・トルマリンが最初にみつかったブラジル産のものはずっと価値が高い。
ブラジルでも最初に出たパライバ州と、しばらくして見つかった隣接するリオ・グランデ・ド・ノルテ州。その間に採掘権をめぐる混乱などもあって、おなじブラジル産でも価値に差がつけられると聞く。
ブラジルのほかには大西洋を隔てた西アフリカのナイジェリアと、アフリカ大陸の南東に位置するモザンビークから産出する。モザンビークはいまや最大の供給地。
今世紀初頭にこれらのアフリカ産のものがでまわった際、商業名についておおきな議論があった。アフリカ大陸からの産出が無視できない規模になり、果たしてブラジルの地名に由来する「パライバ」の名称をつかうべきかどうか、というわけだ。
しばらくは「パライバタイプ」などの呼称のバリエーションがあった。いまも言い分けている業者さんもいる。ティファニーはパライバという言い回しを避けて「キュプリアン・エルバイト」と呼んでいる(キュプリアンは銅を含むという意味)。
先述のLMHCはパライバ・トルマリンの呼称に産地は問わないという条件を追加した。そして予想されたとおり、アフリカで採れたものがブラジル産とされるなど流通の混乱があった。意図的に偽ったわけではなくとも流通の過程で混在してしまうこともおおかったようだ。これはルビーやエメラルドなどほかの宝石でもよくあること。産地鑑別のニーズがさらに増した。
昨年12月のミネラルショー。このときわたしが買った小さなパライバ・トルマリンは、鉱物種としてはリディコータイトかもしれない(未検査)。リディコータイトは前回の終わりがけに派手な模様が断面に現れたものを紹介した、カルシウムとリチウムを主成分にもつトルマリン。これも銅とマンガンを含み、定義にしたがえばパライバ・トルマリンになる。
パライバ・トルマリンはだいたいがエルバイト(リシア電気石)なのだけど、1割程度の割合でこのリディコータイトも存在している。この銅による着色のリディコータイトは、いまのところモザンビーク北部のマラカという地域からしか見つかっていない。
近年、わたしたち宝石鑑別機関では産地の同定が重要な仕事になっている。パライバ・トルマリンも例外ではなく、わたしは数年前、学術誌の産地鑑別の特集号でパライバ・トルマリンの産地鑑別について執筆した。
そのときは6種類の微量元素を比較することで大部分が分けられることを示した。鑑別機関、研究機関によっては別の微量元素を指標にしたり、ホウ素やリチウムの安定同位体比など別の方法も模索されている。鑑別技術、とくに産地の鑑別は、AI技術をとりいれたり日進月歩だ。
しかしそれでもまだ結論を出せないケースは存在する。手がかりが石のなかにしかないだけでなく、次々とあらたな鉱山のものが市場に流通したり、以前は売られることのなかった低品質のものまで流通しだしたり、といったことが常に繰り返されるからだ。
産地もまたミステリーだ。
見え隠れする人の業
トルマリン、とりわけ高価なパライバ・トルマリン。処理や産地について疑問を抱かせるようなものが素知らぬ顔をして流通していることもある。
あるとき、ブラジルの鉱山のデッドストックからというパライバ・トルマリンが市場に供給された。それなりに権威ある鑑別機関のお墨付き。しかしそれらの石のなかには何年も前にモザンビーク産として鑑別されていたものが混じっていた。
先に書いた鉄の濃度の高いパライバ・トルマリン。わたしの職場をふくめ、主だった研究者による調査では数年前にナイジェリアで開発された鉱山からのものと考えられている。しかし、それらのおおくはタイで加熱処理をされ、ブラジル産として売られていたりする。
最近、見た目はパライバ・トルマリンに似ているけれど、銅による着色ではないので別の名前で売られるトルマリンが増えてきた。アフガニスタンやナミビアからのものだ。これらもたまにパライバ・トルマリンとして鑑別にまわってくる。
見た目を似せた別の石や、模造石も存在する。ブルーのアパタイトやトパーズは、たまに混同して扱われることがある。アパタイトはパライバ・トルマリンに便乗した「ネオンブルー」を冠した呼び名で売られていたりもする。
下の写真はわたしの手元にあるホンモノ(未検査)と模造石。ひとつはブルーのガラスとクォーツを張り合わせたもの、もうひとつは銅を入れてつくられた合成ベリル。
産地にまつわる流通の混乱や模造石の存在なんかを見るにつけ、われわれの業の深さを感じてしまう。もっともこうした要素はほかの宝石、古くからある宝石にもずっとついてまわったことだけど、歴史が乏しいぶん、皮肉なことにこの生々しい人間くささがこの石らしさのように思えてくる。
狂詩曲
話をすこし変える。狂詩曲という音楽がある。平凡社の世界大百科事典によると以下のような説明がある。
浅学のためトマーシェクについては知らなかったけれど、ブラームスの「ふたつのラプソディ」、リストの「ハンガリー狂詩曲」ならよく知っている。
また「狂詩曲」でネット検索をすると”民族的”というキーワードも散見される。ホメロスの叙事詩に由来するのだから、長い歴史をもつ諸民族の音楽が反映されていても不思議はない。
真珠、ダイヤモンド、ルビーなど古くからある宝石は宗教に関連づけられたり、さまざまな君主の手に渡ったりと何かしらの歴史と伝統を持っている。そうした伝統は民族的な個性と相性が良い。だから宝石にもまた民族的なアイデンティティが宿る。
しかしパライバ・トルマリンは世に出てまだ日が浅い。そのせいか、まだそうした伝統と民族性に乏しい。いや、グローバル化した現代では、もはやかつての民族性にリンクした伝統は醸成されないだろう。むしろかつての民族性に緩やかにリンクした社会階層や文化のほうが相性が良い。
ユダヤ系ロシア移民の子孫ジョージ・ガーシュウィンによる「ラプソディ・イン・ブルー」のブルーは黒人音楽の音階を指す。この曲は20世紀前半の米国の民族的・文化的色彩を反映した狂詩曲だ。このすこしあと、黒人音楽をロックンロールとして流行らせた白人青年エルヴィス・プレスリーもいた。
20世紀後半の英国にも狂詩曲を冠した曲がある。クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」は本来の中欧ボヘミアやロマではなく、自由人としてのボヘミアン、ヒッピー文化の担い手のボヘミアンの曲だ。楽曲も断章の自由な組み合わせでできている。
ホメロスの叙事詩以降、連綿と現代にまで形を変えつつ狂詩曲があり続けていると思うととても感慨深い。
希望は複雑な色をしている
民族的というと国旗に反映された色を連想する。ややこじつけだけど、色とりどりの国旗はトルマリンのカラーバリエーションにも通じるように思える。宝石学と旗章学に通じるかた(誰かいるのか?)には共感してもらえることだろう。
そんなことを考えていると、谷川俊太郎の「色」という詩を思い出した。
この詩が語る、カラフルだからこその希望。複雑だからこその希望。複雑な色に垣間見えるように泥くさい人間らしさがあるからこその希望。
ネオンブルーはどんな色と言えそうか。やはり数ある希望のひとつだと思う。
科学的洞察によって解明したパライバ・トルマリンの発色メカニズム、ショーで注目を浴びたばかりに上がり続ける価格、その背後にある採掘史、ミステリアスな処理や産地、ニーズにあわせて求められる鑑別技術・・・これらの「複雑さ」には、多かれ少なかれ人間らしさが潜んでいる。そして、そこには希望が見えては来ないか。
これら複雑な要素が断章として束ねられるとしたら・・・それこそ狂詩曲ではないか。
縁あって、わたしにとってもっとも詳しい石のひとつになったパライバ・トルマリン。知れば知るほど興味深く思えるのは、古くからの宝石みたいな伝統がないがゆえの未知に対する期待と希望が潜んでいるからなのかもしれない。
ガーシュウィンは黒人音楽とジャズの音階を主軸に「ラプソディ・イン・ブルー」を書いた。新興の宝石パライバ・トルマリンには、その特徴的なネオンブルーにまつわるラプソディ・イン・ネオンブルーが書かれそうな気がする。