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日本の医療費抑制に必要なのは外来診療への「包括支払い」制度の導入

欧米では、政策の制度設計はエビデンス(科学的根拠)に基づくべきだとの考え方、EBPM(Evidence-based policy making、エビデンスに基づく政策立案)が浸透しています。

政策立案の段階で十分なエビデンスが存在しない場合、経済学者や政策学者のアドバイスのもとで理論に基づき綿密に制度を設計して、導入後に実際のデータを用いた政策評価をします。そしてエビデンスを集め、それを基に制度を変更していくのが一般的です。

それと比べて日本ではEBPMはあまり進んでいません。以前と比べれば省庁でもEBPMの考え方が浸透してきましたが、中身はまだ十分に理解されていないと感じます。省庁で実現したいゴールが先に決められており、それに合わせる形でエビデンスが選り好みされていることもあります。これでは政局に基づくエビデンス創造(Politics-based evidence making)になってしまい、EBPMの目的からは大きく離れてしまいます。EBPMの根本的な考え方をきちんと学ぶ必要があると思います。

EBPMの目的は「政策が目的とする結果(ゴール)を達成する確率を最大化する」ことです。多くの政策は、国民が支払う税金によって実現されます。目的とするゴールや問題を解決するのに必要な政策が一つしかないということは珍しく、複数のオプションの中から実際に導入する政策を選ぶという場合が多いと思います。そのような場合に、税金を投入して実行された政策が、きちんと期待されるゴールを達成する、その確率を高めるのがEBPMの役割です。

よって、EBPMが機能するためには、明確なゴール設定が必要です。医療費を減らすことなのか、がん検診の受診率を高めることなのか、入院日数の減らすことなのか、内容は何であれば、明確にゴール設定をして、それを数字として測定し、評価することが重要です。

そうしないと、あとになって他のゴールが達成できた、みたいな話になり、政策がうまく機能しているのか、機能していないのかが恣意的に決められることになってしまいます。このような現象を英語では「ゴールポストを動かす」という表現をするのですが、EBPMの文脈では避ける必要があります。

日本の医療費の伸びを緩やかにするにはどうしたらよいのか?

日本では社会保障費の増大が問題になっています。社会保障費の内訳は、年金が約5割、医療が約3割、福祉(介護等)が約2割です。この中で、医療費の伸びを抑制するためにはどうしたらよいのでしょうか?

医療費の問題は常に医療の質とセットで考える必要があります。医療費抑制だけが目的ならば、病院の数を減らしアクセスを悪くして、医療サービス(診察、検査、手術など)を受けにくくすれば達成できます。無医村であれば、医療費はゼロです。でもそれが国民が望んでいる医療の形ではないと思います。

政治的な意思があれば診療報酬点数を大幅に引き下げることでも達成できます。しかし、結果として医療崩壊を引き起こすリスクがあります。医療の本来の目的は国民の健康向上であるため、それでは本末転倒です。

医療費の安い県では、心肺停止患者の死亡率が高い

日本では都道府県によって、医療費の水準が大きく違うことが知られています。それでは、医療費の安い県は、より効率的によい医療を提供しているということなのでしょうか?

そうではなさそうです。私たちの研究チームが以前行った研究があります。総務省が保有している日本で救急搬送されたすべての患者のデータを使って評価しました。その結果、病院の外で心肺停止になって救急車を呼んだ場合に、一か月後に生存している確率を評価したところ、医療費の高い県の方が、生存率が高いことが分かりました。

生存率だけでなく、脳の障害が残る確率においても、医療費の高い県に住んでいる患者さんほど、予後良好という結果でした。

この研究では、患者さんの年齢や重症度などの要因を補正しているため、生存率の違いは重症度の違いではなく、医療制度の違いだと考えられます。具体的には、救急医療制度の整った地域ほど、患者さんの予後が良好になると考えられます。

日本の各県の医療費と院外心肺停止患者の生存率の関係(Tsugawa et al., BMJ Open, 2015

もう一つ重要なポイントがあります。すべての医療費が、患者さんの健康の改善に寄与しているわけではないということです。米国での研究では医療費の2~3割は「無駄」、つまり患者さんの健康の改善に寄与していないと推定されています。

私たちの研究チームが行った研究でも、日本の診療報酬制度に含まれる、つまり保険でカバーされる医療行為(薬や検査も含む)の中に、患者さんの健康を改善するというエビデンスがないものが数多く含まれていることが分かっています。

患者さんの5~8%が一年に少なくとも一回は、健康改善効果のない医療行為を受けていた。下記のようなものが健康改善効果のない(というエビデンスのある)医療行為の具体例になります。

この研究に関しては以前別の記事でまとめましたので、ご興味のある方はこちらからご覧ください。

Miyawaki et al., BMJ Open, 2022を日本語訳し一部改変)

日本の医療保険制度では、保険で一度カバーされる(診療報酬に収載される)と、その後再評価されることはめったにありません。つまり、はじめは効果があるかもしれないということで保険収載され、その後複数の研究で効果がないことが明らかになっても、そのまま保険収載され続け、医療現場では患者さんに提供され続けているのです。それでは保険収載されている医療行為のリストは長くなるばかりで、医療費が高騰するのも無理もありません。

医療費の2~3割が無駄であるということは、医療の質を犠牲にせず医療費を抑制できることを示唆しています。

以前の記事でもご説明した通り、医療経済学で最も基本的な数式は「総医療費=P×Q」です。Pは医療サービスの単価、Qは消費される医療サービスの量を意味します。

米国はPが高いため患者は必要以上の医療サービスを希望しません。欧州の多くの国では、高額医療機器の数が限られていたり、専門医にかかるためにかかりつけ医の紹介が必要だったりすることで、Qをコントロールしています。一方、日本はPが安いだけでなく、フリーアクセスで、Qを直接コントロールする手段を導入していない珍しい国です。

日本で医療費をコントロールする主な手段として用いられるのは、診療報酬点数(P)の調整です。ある技術が保険適用された当初は、広く患者がアクセスできるようにするためPは高めに設定されます。医療機関は利益が出るので積極的に提供するからです。その後Pは少しずつ引き下げられ、利幅は徐々に小さくなりますが、医療機関にとってはQを減らすインセンティブ(動機)はそれほど強くありません。結果として日本の医療は「低いPと高いQ」の状況となっています。

日本では経済協力開発機構(OECD)平均と比べて国民1人あたりの外来受診回数が約2倍、平均在院日数が約2倍、入院ベッド数が約3倍もあります。またコンピューター断層撮影装置(CT)と磁気共鳴画像装置(MRI)の台数が世界で最も多いです。人口あたりの薬代をみても米国の次に多く、OECD平均と比べても5割近く多いです。

日本の医療費高騰の一因は、出来高払い制度

問題は支払制度に起因すると考えられます。日本の外来診療は出来高払いで、入院診療でも約1700の診断群分類別包括払い(DPC)対象病院を除くと出来高払いが用いられます。出来高払いの下ではQを高くするほど医療機関の収入は増えます。つまり診療報酬制度による医療サービスの単価引き下げと出来高払い制度が組み合わさり、「薄利多売」で収支を合わせるという日本の医療機関の現在の状況が形成されたと考えられます。

出来高払い制度は、Qが最適なレベルよりも高くなってしまう不完全な制度です。そのため欧米諸国では出来高払いから、より包括的な支払い方式へと移行しています。

医療費の支払い方式(津川友介、日経新聞経済教室、2017年

最も包括的な支払い方式は「人頭払い方式」と呼ばれるもので、かかりつけ医が担当する地域の患者1人につき一定の固定額が支払われます。患者が医療費を使うほど医療機関は損をするため、かかりつけ医は予防医療を通じてできるだけ患者の健康を維持して医療サービスを消費させないようにするインセンティブが働きます。どれだけ包括的に支払額が決まるかにより、人頭払い方式と出来高払い方式の間には、複数の支払い方式が存在します(上図参照)。

注意が必要なのは、日本での包括払い方式の導入は、最適なレベルよりも高くなっているQを適正なレベルに引き下げるのを目的としており、強引に医療費抑制を進める目的ではないということです。

医療機関の利益率(医業利益率)は1~4%と既に低く、包括払い額の設定額が低すぎれば経営破綻を招きます。医療機関が経営を維持できるように十分な金額に設定することが肝要です。いずれQが下がってきて医療機関の経営に余裕が出てくれば、その時点で包括払い額を引き下げることが可能になると予想されます。

包括支払いにするだけでは、過少医療になるリスクがある

包括払い方式の下で、医療機関が利益の最大化を追求すると、患者が必要な医療サービスを受けられなくなるというリスクがあります。これを予防するために欧米の多くの国で「医療の質に基づく支払い(ペイフォーパフォーマンス=P4P)」が併用されています。患者の死亡率、退院後の再入院率など「医療の質」により、病院への支払額を増減させる仕組みで、医療機関により質の高い医療を提供するインセンティブを与えます。

ただしP4Pは理論的には医療の質向上につながるものの、エビデンスが弱い点には注意が必要です。米国での研究の結果、再入院率を減らすが、死亡率は減らさないことが明らかになっています。その制度設計に理由があると考えられます。日本で導入する際には、効果的な制度設計をするために、事前に国内で実証研究を進めることが不可欠です。

患者も当事者意識を持ち、節度ある医療費の使い方をする必要があります。自己負担率が増えると医療サービスの消費量が低下することが、米国でのランダム化比較試験を用いた研究で明らかになっています。貧困で健康状態の悪い人に関しては自己負担が増えることで健康への悪影響がありますが、それ以外の人に関しては健康への影響はないことが分かっています。日本のデータを用いた観察研究でも同様の結果が得られています。

問題は、自己負担が増えると、患者は医学的に意味のある医療と意味のない医療の両方を控えてしまうことです。患者は、自分が購入する医療サービスの価値を正しく評価できないことを示唆しています。

これを解消するために、医療サービスがエビデンスに基づくものかどうかで自己負担割合が増減する「価値に基づいた医療保険(VBID)」が米国で開発、研究されています。ガイドラインにのっとった医療であれば自己負担が少なくなり、ガイドラインから逸脱した医療では自己負担が高くなる医療保険のことです。

日本でもエビデンスに基づかない医療サービスは保険適用対象から外すべきです。エビデンスのない医療サービスは医療費の無駄だけでなく副作用などのデメリットもあります。具体例としては、風邪に対する抗生剤や風邪予防のためのうがい液などが挙げられます。

総合感冒薬、湿布薬、抗アレルギー薬など安価な薬も保険適用対象から外し、処方箋なしに薬局で購入するようにすれば不要な受診や検査が減ります。重篤な疾患に用いられる治療の中にもエビデンスが不十分で、日本でのみ使われる薬が存在します。費用対効果分析を実施しなくても保険適用から外す事が推奨される医療サービスが多くあります。

日本は歴史的に診療報酬点数や自己負担割合に頼った政策をとってきました。経済成長もあり今まではうまく機能していましたが、少子高齢化もありもはや限界に来ています。日本が医療の質を下げることなく医療費抑制を達成するには、医療経済学的な理論とエビデンスに基づいた、より綿密に設計された支払制度が必要になっています。

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津川 友介
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