恐れていることは学校にいかないことではない #変化を常に#まなびの人生設計図
最初のnote投稿で、学校にいかないという次男の選択を尊重するという話を書いた。色々と思うところはないとはいえないが、我が家では上の2人の子たちは地域の学校にいっているので、学校に行くか行かないか是非を問うというスタンスをとるつもりはひとまずない。
まわりの支えもあって、子どもひとりひとりを出発点としてとらえると、学校にいくとか、いかないとか、あまり大きな問題ではなく、どう学びとしてアプローチをするのかという段階にうつる。是非を問うより、過ごし方にフォーカスすることになる。
恐れているのは学校にいかないことではない。
近隣に学校にいってない子たちがそれなりにいることもあって、行かないのであれば、家でばかりだと関係性が広がらないということもあり、何かをしようと動きはじめた。
大人も子どももお互いに気にかけ合う安心した空間の中での営みがこんなにも豊かなのかと感じる瞬間もある。
前回のすぎんこ祭りでも、自然とお店出す〜、いいね〜、私これやる〜と、どんどん世界を広げていく子どもたちの姿があった。
正直、うらやましくもあるし、すごいなぁ〜と尊敬の念もわきてくる。
そう、私たちは声高にいわなくても、「みずから気づいた」学びは、「与えられた」学びより、何倍も何十倍も身になることを知っている。学びはどこにも満ちあふれている。あとはそれぞれのタイミングのみ。
このnoteを書き始めたのもそういう想いからでもある。
恐れているのは学校にいかないことではない。
いつまでも私が成長させてもらった時代のままの考え方で、私たちの暮らしが、仕事が、地域が、社会が、このまま続いていけるとは到底思えない。
子どもの学びが大人の学びより劣っているとは思わない。むしろ子どもたちの自然の振る舞いから学ぶことばかりだ。
無頓着にならない。誰かのせいにもしない。ひとりで抱え込みすぎない。大人も子どもも対等に社会にかかわる一員で役割の違いでしかなく、どちらがどちらを支配するということではない。
社会のありかたと自分のありかたを見つめ直し、子どもも大人も社会の一員として、社会の一部を担い、かかわりあい、学び続けていけるそんな地域にしていきたい。
恐れないといけないのは、従来の考え方に固執して「分断」をうむ、私たち自身のステレオタイプのマインドそのものだ。
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