イチロー氏の米国野球殿堂選出を祝す
米国時間の1月21日(火)、全米野球記者協会による米国の野球殿堂の候補者の選出投票の結果が公表され、イチロー、CC.サバシア、ビリー・ワグナーの3氏が選出されました。
イチロー氏とサバシア氏は資格初年、ワグナー氏は資格最終年となる10年目での選手でした。
特に、イチロー氏はアジア人選手初の殿堂入りとなり、19年にわたる大リーグでの活躍が球史に永遠に刻まれることになりました。
最も攻撃的な守備と評価され、判定が下るまで目を離せないプレーは野球の見方を変えたとも称されたイチローさんの姿は、これからも長く語り継がれることでしょう。
ところで、イチロー氏については、2019年3月21日に現役を引退したことを受け、当時連載を担当していたWEBRONZAにイチロー選手の選手としての特長を他の選手、指導者、審判、そして観客の4つの視点から分析する論考「イチローはなぜ、大リーグで活躍できたのか?」を公表しました[1]。
そこで、今回はイチロー氏の野球殿堂選出を記念し、上記の論考を一部修正した内容を以下にご紹介いたします。
イチローはなぜ、大リーグで活躍できたのか?
(鈴村裕輔)
ついにやってきたイチローの引退
始まりのあるものには、終わりがある。
「最低50歳まで現役を」と公言していたイチローだが、体力、技術の衰え、さらにトーニングや動作解析の方法の進歩などによる投手の急速の向上、スイングスピードと打球の角度を重視する「フライボール革命」の登場など、自分自身と周囲の状況の変化により、ついに現役の引退することになった。
しかし、日本のプロ野球での7年連続首位打者や、大リーグでの年間最多安打262本など、日米の球界に大きな足跡を残したイチロー選手の価値は揺るがない。今後、たとえ「イチロー2世」と呼ばれる選手が現れても、否、現れればなおさら、イチローという選手の存在感はますます高まるであろう。
そもそもイチロー選手の価値はどこにあるのか?彼は大リーグで何を実現し、周囲からどのように評価されたのか?そして何を残したか?大リーグが見た「イチロー」を振り返ってみたい。
「彼でも打てないときがあるんだな」
イチロー選手のことを考えるときにしばしば思い出す、忘れられない光景がある。
2005年6月14日、シアトル・マリナーズの本拠地セーフコ・フィールド(現T-モバイル・パーク)では、フィラデルフィア・フィリーズを迎えて交流戦が行われていた。
試合を取材していた筆者がマリナーズの打撃練習中、フィリーズのダッグアウトの前を通り過ぎると、一人の選手に呼び止められた。声の主は、当時フィラデルフィア・フィリーズに在籍していた二塁手のチェイス・アトリー選手だった。
大リーグに昇格して3年目の26歳の彼は、マリナーズの打者たちが練習する姿をダッグアウトから熱心に眺めていた。そして、「この前のイチローの打撃はどうだった?」と筆者に尋ねたのである。
1日前の試合で5打数無安打だったと告げると、アトリー選手は信じられないという表情をしながら、「彼でも打てないときがあるんだな」とつぶやいた。この何気ない一言に誘われて、筆者が打撃練習を眺めている理由を尋ねると、アトリー選手は次のように答えた。
「自分自身の打撃だけではなく、相手球団の打撃も気になる。特に、同じ二塁手の打撃には自然と目が向く。遠征先でミーティングが早く終わったときなどは、対戦相手の打撃練習を見る絶好の機会なので、できるかぎりグランドに行くようにしている。ミーティングで『好調だから注意しよう』と指摘された選手は、特に気になる。もしかしたら、自分の打撃を向上させる手がかりがあるかもしれないから」
守備力と長打力を兼ね備え、評論家から「フィリーズの二塁は10年は安泰」とまで言われたアトリー選手が、イチロー選手のどこを見ていたのか。
「あの打撃練習を見ているだけで勉強になる。一回として無駄に打っていないし、自分の番が回ってくるたびに色々な打ち方を試している」
選手生活の後半は故障に苦しんだが、アトリー選手は2000年代の大リーグを代表する二塁手として活躍した。そのアトリー選手にとって、長打力より打撃術に定評のあったイチロー選手は、目の前にいる、優れた打撃の手本の一人だった。
「自分のストライクゾーンを持っている」
次に紹介するのは、ドン・ベイラー氏によるイチロー選手の評価だ。
1970年にボルティモア・オリオールズに昇格して以来、1988年に引退するまで19年間にわたって大リーグで活躍し、1979年には打率.296、36本塁打、139打点、120得点で打点王と最多得点を記録して最優秀選手に選ばれるなど、1970年代から1980年代を代表する打者の一人であったベイラー氏は、イチロー選手を高く評価した一人だった。
2005年にマリナーズの打撃コーチを務めていたベイラー氏は、実際に接したイチロー選手を「自分のストライクゾーンを持っている」と指摘する。
ベイラー氏によれば、優れた打者は自分だけのストライクゾーンを持っているし、自分のストライクゾーンに忠実だという。そして、これまで打者として「超一流だ」と言われる選手はほとんど例外なく、他の選手からするととても打てそうにはない、あるいは打つのがためらわれる球でも平然と打つ。
こうした選手はしばしば「悪球打ち」と言われる。しかし、実際には自分が打ちやすい球を打っているのに過ぎないのであり、彼らは決してあたりかまわずバッドを振っているのではない。むしろ、自分が打てる球だからこそ、ワンバウンドした球でも外角を大きくそれる球でも、あるいは目元を通る球でも打てるのだ。
強みになった「意外性」
さらに、ベイラー氏がイチロー選手を評価する要素としてあげたのが、「意外性」だった。
意外性とはマジックやトリックではない。対戦相手も仲間も、そして自分自身でさえ「そんなことは絶対ないだろう」という場面で「絶対ない」はずの打撃をできることだ。
意外性の典型例は、「本塁打を打つはずのない選手が、狙って本塁打を打つ」、あるいは「強打者が送りバントをする」というものである。別の言い方をすれば、意外性は「出来るのにやってこなかったことをする」あるいは「意図して相手の裏をかく」ということである。
一般に、イチロー選手は凡打を安打にする走力の持ち主といわれる。これは、イチロー選手が非力な打者とみられていることを意味する。しかし、実は彼は必要な時に本塁打を打つことができるし、その気になれば本塁打を量産することも可能であった。
ベイラー氏は、そのような能力を持っているにもかかわらず、長距離打者の道を選ばなかったことが、イチロー選手の意外性を形づくる要素だと指摘する。
塁が埋まっている場面で「本塁打を打たれるかもしれない」と思うと、相手バッテリーは、大量失点を避けようとどうしても慎重な投球になる。これは、イチロー選手の持つ意外性が相手の投球の選択肢を狭めていることに他ならない。要するに、意外性を持つことで相手の投球を制約し、自分の立場を相対的に有利にしているのである。
「打者であれ投手であれ、一流といわれる選手には監督やコーチは不要だと思われるかもしれない」と前置きしつつ、「イチローのような選手でも、年に一度や二度はどうしても抜け出せない不振に陥ることはあるし、自分では好調だと思っていても、少しずつ調子が崩れている時もある。こうした時に、選手の相談に乗ったり、雑談をすることがコーチや監督に求められる大きな役割なのだ」と言うベイラー氏ならではの「イチロー像」は示唆に富む。
「彼が打席に入るだけでスリリングな気持ちになる」
審判にとっても、イチロー選手は印象深い存在だったようだ。
1991年以来、大リーグで審判を務めるブライアン・ゴーマン氏は、2005年に筆者が「イチロー選手が出場する試合で審判を務める際に苦労したことはあるか」と質問した際、「ある」と即答した。
ゴーマン氏によれば、イチロー選手が出場する試合で一塁の塁審を務めるときが最も緊張したという。なぜか?三塁線への打ち損ないと思われる打球、通常であれば「アウトになるだろう」という当たりでも、間一髪のタイミングで一塁に達するのがイチロー選手だからだ。それゆえ、イチロー選手が打席に立つと、他の打者の場合に比べて集中力を高めなければならず、それだけ緊張の度合いも異なるという。
「彼が打席に入ると、それだけでスリリングな気持ちになる」というゴーマン氏が特別なわけではない。1999年に大リーグに昇格したマーク・カールソン審判もイチロー選手を意識する発言をしている。
「彼は際どい場面でアウトとなっても平然としている。それは、もしかしたら審判に対する無言のプレッシャーかも知れない。しかし、それ以上に自分に自信のある証拠でもあるだろう」
審判にとってのイチロー選手がどのような存在であったか伺えよう。10年連続で「3割、200安打」を記録していた頃がイチロー選手の全盛期だとするなら、全盛期のイチロー選手は文字通り「審判泣かせ」の選手の一人だったに違いない。
観客に好かれるタイプ
大リーグの観客の一般的な傾向は、どの球団を応援していようと、ナイスプレーやよい場面には惜しみない拍手と声援を送り、怠惰なプレーや審判への敬意を欠いた行動には容赦なく罵声と怒号を浴びせるということがある。
2000年に当時のスポーツ界で最高の金額となる10年間・2億5200万ドルの契約を結び、マリナーズからテキサス・レンジャーズに移籍したアレックス・ロドリゲス選手の場合、マリナーズのホーム球場であるセーフコ・フィールドの試合では、「金で魂を売った裏切り者」「金の亡者」といった罵声を受ける場面が長らく続いた。
判定に不満を持ったロベルト・アロマー選手が、1996年9月に球審の顔に唾を吐き、97年の開幕戦から5試合の出場停止の処分に課された際は、処分が解かれた最初の試合で、激しい怒号と罵声が飛び交った。
これに対し、怪我で長期間戦線を離脱していた選手が復帰したり、無安打無得点試合を達成した場合などは、たとえ敵方の選手であっても球場内から拍手が絶えることはない。
2014年のデレック・ジーター選手(ニューヨーク・ヤンキース)や2016年のデヴィッド・オルティーズ選手(ボストン・レッドソックス)など、引退の時期を明言した名選手には、遠征先で客席から惜別の拍手が寄せられたものだった。
いわば大リーグには観客から好かれる選手と嫌われる選手がいるのだ。そして、イチロー選手は前者の代表的な存在だった。
では、イチロー選手はなぜ、観客から好かれたのか。
打席に入れば安打を、塁に出れば盗塁を期待され、その期待に応える。フェンス際の打球を捕り、三塁や本塁に正確無比な送球を行って走者を釘付けにする。そうしたプレーは確かにその日の試合の最高の見せ場の一つだった。
しかし、それだけでは、優れた選手ではあっても、観客の好意を集める選手とはいえない。
アメリカ人の価値観に合致
大リーグの観客がイチロー選手を好意的に評価する決定的な契機となったのが、2001年5月にシアトルの小学校を訪問したときだった。
「イチロー、イチロー」と声をかける小学生の中に入ったイチロー選手に、一人の少年が抱きついた様子がシアトルの地元テレビ局のニュース番組で放映されたのだ。
この光景をみて、人びとはイチロー選手が子どもにも好かれる、心優しい選手であることを実感した。
大リーグに限らず、米国のスポーツ界では「子どもに好かれる選手は立派な選手」という考えが根強い。子どもたちが興奮しながら歓声をあげる姿は、イチロー選手が野球選手としても一人の人間としても、優れた存在であることを示したのだ。
さらに、“Laser Beam”や“Area 51”、あるいは“Wizard”などの「あだ名」を与えられたことも、イチロー選手が米国的な価値観と合致したことを物語る。
“Sultan of Swat”(打撃の帝王、ベーブ・スール)、“Iron Horse”(鉄の馬、ルー・ゲーリッグ)、 “The Left Arm of God”(神の左腕、サンディ・コーファックス)、“The Express”(超特急、ノーラン・ライアン)、“The Wizard of Oz”(オズの魔法使い、オジー・スミス)など、大リーグでは特徴を端的に示すあだ名を与えられる選手が少なくない。
日本人選手でも、両腕を高く上げて背中を打者に向けてから投げる独特の投法から、“The Tornado”と呼ばれた野茂英雄投手が思い浮かぶ。
ある選手があだ名を与えられるためには、成績が優れているだけでは足りない。他の選手と異なる特徴を兼ね備えている必要がある。
左足を高く上げる(ホアン・マリシャル)、左足を額につくまで引き寄せる(ノーラン・ライアン)といった投球や、バットの下部を頭上に掲げてバットの先端を投手に向ける(フリオ・フランコ)、両足を広げて腰を深く下ろす(ジェフ・バグウェル)といった打法も、大リーグでは個性として広く受け入れられている。
イチロー選手もまた、打席に入るときに右腕を伸ばしてバットを立て、ユニフォームの袖に触れるという個性的な動作によって、野球ファンにアピールしてきた。
あだ名と独特の仕草という米国の観客の嗜好に合致したことで、イチロー選手も他の選手とはひと味違う選手となったのである。
批判もあるけれど……
日本にいた頃には、イチロー選手時代の代名詞でもあった「振り子打法」を改め、右足の動きを小さくしたり、バットを構える際に左腕をほぼ水平に保つことで打者の手元で変化する球の動きに対応しようとするなど、イチロー選手は日本で培った能力を大リーグの流儀に適応させることで、米球界でも球史に残る大選手となった。
ただ、エドガー・マルティネスやジョン・オルルド、あるいはブレット・ブーンなどの選手が引退や移籍で球団マリナーズから去り、投打の中心選手となった後も、イチロー選手はより一本でも多くの安打を放つことに集中した。
そして、「チーム・リーダー」としての役割を果たしていないかのようないイチロー選手の振る舞いに、批判が寄せられていたのも確かだ。
とりわけ、2012年7月にマリナーズからヤンキースに移籍した際は、シーズンがはじまって間もない5月頃から、シアトルで「イチローは10年連続でゴールド・グラブ賞を獲得した。しかし、今やイチローはチームにとって最善の左翼手ではない」といった批判的な報道が目につくなど、他を圧倒する成績を残していた際には表面化しなかったイチロー選手への不満も明らかにされた。
しかし、長打力が重視される大リーグにあって、優れた打撃術とゴロを安打にする俊敏さ、機動力を活かした守備によって、実現しないだろうと考えられていた「日本人の野手大リーガー」の道を切り開いたことは、日米の野球史にとって画期といえる。
かつて米国の野球専門誌『Baseball America』は、イチロー選手を「最も攻撃的な守備によって観客を魅了する選手」と評した。バットとグローブを置いたイチローは、これからどんな道をいくのだろう。持ち前の「意外性」を発揮して、さらに多くの人々を魅了し続けることを期待してやまない。
[1]鈴村裕輔, イチローはなぜ、大リーグで活躍できたのか?. WEBRONZA, 2019年3月25日, https://webronza.asahi.com/national/articles/2019032300003.html (2025年1月22日閲覧).
<Executive Summary>
Celebrating Mr Ichiro Suzuki's Enrollment to the National Baseball Hall of Fame (Yusuke Suzumura)
Mr Ichiro Suzuki, Mr CC. Sabathia and Mr Billy Wagner voted into the National Baseball Hall of Fame on 21st January 2025. On this occasion, I introduce the article focusing on Mr Suzuki and his achievements in the MLB published on the WEBRONZA of 25th March 2019 for the readers of this weblog.