長崎平和祈念式典の存在感の大きさを示した「イスラエル不招待問題」
本日、1945年8月9日に長崎県長崎市に原子爆弾が投下されてから79年目を迎え、長崎市では平和祈念式典が開催されました。
今回は、長崎市がイスラエルの駐日大使を式典に招待しなかったため、主要7か国(G7)のうち日本を除く6か国と欧州連合(EU)が懸念を示し、大使ではなく代理者を参列させる事態となりました。
こうした状況について、長崎市の鈴木士朗市長は「決して政治的な理由で招待していないわけではなく、平穏かつ厳粛な雰囲気のもとで式典を円滑に実施したいという理由だ。苦渋の決断ではあったが、そういう考えで決定した。判断に変更はない」と主張する一方、G7各国やEU側は「イスラエルを式典に招待しないことは、イスラエルを式典に招かれていないロシアやベラルーシのような国と同列に扱うことになり、不幸で誤解を招く」と指摘しています[1]。
確かに、式典に参加されないという点に着目すれば、ロシアやベラルーシとイスラエルとが同列に扱われ、不幸で誤解を招くという各国の指摘は妥当なものと言えるでしょう。
一方、現下の国際社会の情勢を判断した結果、イスラエルの招待を見送った長崎市側の決定も、平和を祈念する式典に武力衝突の当事者を招くことは不適切であるという考えに基づくのであれば、合理的であると思われます。
従って、双方がそれぞれの立場に基づいて行動する限り、こうした対立は早晩起こるべきものであって、今回の出来事は決して不可解なものではありません。
それとともに、長崎市が平和祈念式典へがを見送ったことが国際社会の反響を呼び起こしたことは、そのそれだけ催事の持つ国際的な意味合いが小さくないという事実をわれわれに教えます。
すなわち、もし長崎市の平和祈念式典が些事でしかなければ各国とも長崎市の判断に懸念を示すことはなく、その決定に対して超然とした態度を取ったことでしょう。
しかしながら、今回は各国が懸念を示したことで、かえって式典への参列が各国・地域や機関の注目を集めるとともに、核兵器のない世界と平和の実現という理念が紛争の当事者だけでなく支持者にも影響を与えるものであるという点が改めて示されたといえるのです。
その意味で、今回の長崎市の判断と各国・機関の対応は、それぞれの立場だけでなく、平和祈念式典そのものを世界各地に知らしめたものだったのです。
[1]【一問一答】長崎市長 平和祈念式典にイスラエル不招待を説明. NHK NEWS WEB, 2024年8月8日, https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240808/k10014541441000.html (2024年8月9日閲覧).
<Executive Summary>
G7 Member Countries and the EU Demonstrate the Meaning of Nagasaki's Peace Prayer Ceremony (Yusuke Suzumura)
The 9th August, 2024 is the 79th anniversary of atomic bombing for the City of Nagasaki. On this occasion, we examine the meaning of this memorial day through reactions of G7 Member Countries and the EU and their attitude.