「戦後79年」に考える風化する記憶を次世代に伝える試みが持つ大きな意義
本日、1945(昭和20)年8月15日に大日本帝国政府が連合国による日本への降伏要求の最終宣言を受諾したことを伝える詔書を裕仁天皇自らが読み上げた、いわゆる玉音放送が放送されてから79年目を迎えました。
宣戦の詔書や政府声明には、戦争の目的として自存自衛と大東亜共栄圏の建設の2点が挙げられていたものの、実際には日本によるアジアの勢力圏化と人的もしくは物的な資源の徴発がなされ、攻勢時に和平交渉を念頭に置いた長期的な戦略を欠いていたことが制空権を失った後も抗戦を続ける一因となったことは周知の通りです。
また、一国一党や軍部による独裁を目指しつつも、大政翼賛会が政党ではなく行政の補助機関となったこと、あるいは東條英機が首相、陸相、参謀総長を兼ねたのはその権勢の強さを示すものではなく、むしろ権力の基盤が脆弱であったが故の兼摂であったことなども、太平洋戦争中の日本の状況をよりよく知るために重要な視点となります。
一方、自存自衛を標榜しつつ自存と自衛のために不可欠な国民があたかも消耗品であるかのように戦地に投入され、多くの将兵が戦没したことや、制空権を失って以降の空襲により多くの市民が犠牲となったことなどは、戦争の残酷さとともに、理想と現実の倒錯をも物語ります。
それとともに、戦後79年を迎え、戦争を直接経験した人たちが日本の人口の少数派となった現在、風化という記憶の持つ本来的な機構を踏まえ、いかにして様々な体験を後世に伝えるかという問題に最新の技術を応用して取り組む動きも本格化しています。
東京大学の渡邉英徳先生による白黒写真の彩色などの試みは、こうした最新の技術による記憶の風化の克服の一環です。
もとより、このような活動は種々の取り組みの中の一つであり、これによってすべての問題が解消されるものではありません。
それでも、いかにして現実の課題に向かい合うかは現在に生きるわれわれにとって不可避であり、可能な選択肢を積極的に試すことの意味は大きいものです。
その意味でも、今後、風化する記憶をいかにして将来の世代へ伝えるかについて、さらに一層の努力がなされることは、戦後を生きるわれわれが担う問題なのです。
<Executive Summary>
How Can We Hand Down the Memories of the Pacific War to the Next Generations?: On the Occasion of the 79th War-End Anniversary (Yusuke Suzumura)
The 15th August, 2024 is the 79th War-End Anniversary of Japan. On this occasion, we examine the meaning of a challenge to hand down our memories of the Pacific War to the next generations.