論文"Declaration of Victory: The Meaning and Achievements of the Stanford University Baseball Team's 1913 Tour"の草稿のご紹介(5)
昨年12月、ロバート・フィッツ、ビル・ナウリン、ジェームズ・フォーの各氏の編纂した書籍"Nichibei Yakyu: US Tours of Japan"の第1巻がアメリカ野球学会(SABR)から刊行され、私も論文"Declaration of Victory: The Meaning and Achievements of the Stanford University Baseball Team's 1913 Tour"を寄稿しました。
今回は、論文の日本語版草稿のご紹介の第5回目となります。
ここで言及されている全フィリピン野球団は、1913年5月10日に来日し、6月1日まで滞在して、早稲田大学、慶應義塾、明治大学、横浜商業専門学校と10試合を行う予定であった[16]。
雨天による中止などもあり、最終的に8試合を行った全フィリピン野球団は早稲田大学1勝したのみで、早稲田大学、慶應義塾、明治大学、横浜商業学校に7敗を喫している[17]。
「フィリピン野球界の精鋭を選抜した」とされる全フィリピン野球団は総員16名で、このうち選手は13名、補欠は1名であった。選手の体格は概ね中肉中背で、3名が体格に優れている一方で小柄な者も3名いた[18]。
体格と試合の結果とは必ずしも一致しない。しかし、8戦して1勝7敗に止まったことを参照すれば、人々が全フィリピン野球団の成績が振るわなかった理由の一端に体格があったと考えたとしても不思議ではない。
「全フィリピン野球団を見た目にとっては、特に体躯が偉大なことが実感される」という一文は、全フィリピン野球団とスタンフォード大学野球部の選手の体格を比較するだけでなく、体格の優劣を通して後者への期待の高さを示していることが推察される。
[16] 「対比軍日割」『読売新聞』、1913年5月5日3面。
[17] 「横商六、比軍四」『東京朝日新聞』、1913年6月1日5面。
[18] 「比軍選手来日」『東京朝日新聞』、1913年5月12日5面。
<Executive Summary>
Draft of Artcile: Declaration of Victory: The Meaning and Achievements of the Stanford University Baseball Team's 1913 Tour (V) (Yusuke Suzumura)
My article "Declaration of Victory: The Meaning and Achievements of the Stanford University Baseball Team's 1913 Tour" is run on Nichibe Yakyu edited by Robert K. Fitts, Bill Nowlin, and James Forr published in December 2022. On this occasion, I introduce the Japanese draft to the readers of the weblog.
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