過去を蘇らせ現在に伝えた赤松良子さんの「私の履歴書」
2021年12月度の日本経済新聞の連載「私の履歴書」は、元文部大臣の赤松良子さんが担当されました。
赤松さんは、労働省婦人局長として男女雇用機会均等法の立案と策定を推進し、国連日本政府代表部公使にとして日本の女子差別撤廃条約への批准に携わるなど、女性の地位の向上と権利の保障と拡充に尽力したことで広く知られます。
洋画家赤松麟作と母浅香のもとに生まれ、父母の愛情に包まれながら成長する様子や、「職業婦人」に憧れた幼少期、津田塾専門学校で英語劇を演じ、「可能な限りの資格を身につけ男性と対等に勝負できるスタートラインに立ちたい」と進学した東京大学での学びと労働省に入省してからの官界での活動と、30回の連載は毎回赤松さんの起伏に富む活動が印象的に紹介されています。
特に、婦人参政権25周年となった1971年に首相であった佐藤栄作が感謝状を渡す相手の選考を行い、平塚らいてうや神近市子らを訪問したり電話をかけたこと、女子差別撤廃条約の批准促進の過程で市川房枝と深く交流したことなどは、赤松さんが戦前の女性解放運動や婦人運動と系譜に連なることを示すばかりでなく、こうした先人の取り組みがあったからこそ、現在へと至る様々な制度の確立があったことを改めてわれわれに教えます。
それとともに、男女雇用機会均等法などの法制度の整備の当事者である赤松さんが往時を振り返ることで、一つの法律が出来るまでどのような過程を経たかが現在に伝えられることは、法制史の観点からも意義深いものです。
また、細川護熙内閣と羽田孜内閣で文部大臣を務めた際に、官僚時代から取り組んできた女性の社会的地位の向上の一環として根拠のない男女差別の見直しを推進し、旭日章の受章が男性のみであることや、甲子園の高校野球全国大会でベンチに女子マネジャーが入れない点などに疑問を呈し、改善の方途を示したたことなども、赤松さんの重要な功績です。
もちろん、「私の履歴書」の内容は赤松さんの視点に基づきますから、異見もあることでしょう。
それでも、「女性の社会進出」を体現し、後に続く人々に進むべき道の一つを示した赤松さんのこれまでの歩みが改めて紹介されたことの意義は大きく、単行本として出版されることでより多くの人たちに新たな学びと気付きを与えることが期待されます。
<Executive Summary>
Former Education Minister Ryoko Akamatsu and Half Her Life Seen from "My Résumé" (Yusuke Suzumura)
Former Education Minister Ryoko Akamatsu wrote My Résumé on the Nihon Keizai Shimbun from 1st to 31st December 2021.