大澤壽人の生誕115周年に際して思ったいくつかのこと
今日は、作曲家で指揮者の大澤壽人が1906年8月1日に誕生してから115年目に当たります。
大澤といえば、現在では「ボストン交響楽団を指揮した最初の日本人」、「戦前モダニズムの粋」といった評価がなされ、2017年には生島美紀子先生による評伝『天才作曲家大澤壽人』がみすず書房から刊行されています。
しかし、1953年に没してからほぼ50年にわたり大澤の作品が演奏される機会がほとんどなく、人々から忘れ去られていたことも事実です。
例えば、1996年に音楽之友社から出版され、物故者から新進まで国内外の指揮者を網羅した『指揮者のすべて』に大澤の名前が挙げられていないことは、この間の大澤の位置付けをよく示します。
こうした背景には、大澤が東京音楽学校の出身者ではなかったこと、音楽を学ぶために渡ったのが戦前の日本の音楽家にとっての本流であったドイツではなく傍流であった米国とフランスであったこと、さらに多作ではあったものの主要な作品の楽譜が出版されなかったことなどが考えられます。
一方で、こうした状況に変化をもたらしたのが片山杜秀先生と藤本賢市さんが2000年に遺族の好意で大澤の手稿譜の調査をしたことで、2004年にはナクソスから「日本作曲家選輯」の第8輯として大澤のピアノ協奏曲第3番「神風協奏曲」と交響曲第3番が発売され、大澤の作品が次第に知られるようになったのは広く知られるところです。
私も2004年7月にタワーレコード渋谷店で初めて大澤のCDを目にした際は「神風協奏曲」という曲名から山田耕筰の交響曲『勝鬨と平和』のような国粋主義的な作品であろうかと思ったものの、試聴したところ思いのほか洗練された内容であったため、そのまま買い求めたものでした。
その後、2008年5月2日(金)にNHK衛星放送第二が放送した関西フィルハーモニー管弦楽団の第198回定期演奏会の実況録画で、飯守泰次郎の指揮による大澤の交響曲第3番の演奏を視聴した際には、NHKが大澤の音楽を広く人々に伝える湧く割を果たしたことを嬉しく思ったものです。
現在では大澤の作品は職業楽団の演奏会で定期的に取り上げられるようになりましたし、市販される音源の数も徐々にではあるものの増加しています。
このような光景を見るにつけ時勢の変化を感じるとともに、関係者の皆さんの努力があったからこそ一度は忘れ去られた大澤が今日復権を果たしつつあることを実感するところです。
今後も、1930年代から1950年代初頭までの日本の交響管弦楽界の傍流であった大澤の音楽を通して、複層的な日本音楽史の検討が進められることが期待されます。
<Executive Summary>
Miscellaneous Impressions of Ohzawa Hisato on His 115th Birthday (Yusuke Suzumura)
The 1st August is the birthday of Ohzawa Hisato, a composer and a conductor, and the year 2021 is the 115th anniversary of his birth. In this occasion I express my miscellaneous impressions of Ohzawa.
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