富澤宏哉さんの野球殿堂入りを祝す

本日、2025年の野球殿堂博物館の顕彰者としてイチロー、岩瀬仁紀、掛布雅之、富澤宏哉の4氏が選ばれました。

いずれも野球史に一時代を画し、あるいは時代を彩った皆さんの選出は、まことに喜ばしいものです。

この中でもひときわ印象深いのは、2008年7月10日(木)に富澤さんから伺った、1956年の日米野球での逸話です。

すなわち、1956年にブルックリン・ドジャースが来日した際、10月27日(土)の甲府球場における試合で二塁塁審を務めた富澤さんはジャッキー・ロビンソン選手を退場させました。

全日本軍の攻撃の際、三塁ゴロを捕ったロビンソンが二塁の守備に入ったジム・ギリアムに送球したものの、ギリアムはロビンソンの球を取る前に二塁ベースから足を離し、一塁に送球したため、富澤さんが「二塁セーフ」と判定しました。

すると、ロビンソン選手が富澤さんのところに近付き、思いつく限りの悪口雑言を浴びせかけました。

一方、富澤さんは親善試合だから、退場にさせるのもよくないと考え、センター方向に移動し、事態の収束を図りました。

翌日、ギル・ホッジス選手が富澤さんに「ジャッキーは、あなたに退場処分にしてもらいたかったのですよ」と話しかけました。その理由は、前日のロビンソン選手はお腹をこわしており、ウォルター・オルストン監督に「ホテルに帰らせてもらいたい」と希望したものの「君はスター選手なのだから、出場しなければならない」と許可しませんでした。

当時の甲府球場は和式便所のみで洋式便所はなかった多え、和式便所に慣れていないロビンソンにとっては大変なことです。

そこで、ロビンソン選手は故意にギリアム選手と相談してアウトのタイミングでセーフになるプレーを行い、審判に猛抗議をして退場処分になろうとしたのでした。何故なら、退場すればホテルに帰って静養できるからです。

驚くべき話ではあるものの、富澤さんは1999年にボストンで開かれたオールスターゲームでロビンソン選手の妻であるレイチェル・ロビンソンさんに会われ。「夫が『あの日はおなかがとても痛くて辛かった』といっていました」という返事を得ており、腹痛が原因で猛抗議をしたというホッジス選手の話の真相が確認できたのでした。

また、富澤さんはこの年の日米野球で帯同した大リーグの審判ジョッコ・コンランから、「ボールかストライクか、アウトかセーフかの判定は先輩が教えてくれる。しかし、尊敬については教えてくれない」と教えてもらったとのことです。

富澤さんはこの言葉を「技術は習得できても人格は自分で陶冶しなければならない」と受け止めたとのことでした。

後に米国で殿堂入りするコンランと日本で殿堂入りした富澤さんの、野球の審判のあるべき姿についてのお話は、大変印象深いものです。

上記のようなお話を思い返しつつ、富澤宏哉さんの野球殿堂への選出をお祝い申し上げます。

<Executive Summary>
Celebrating Mr Hiroya Tomizawa's Enrollment to the Japanese Baseball Hall of Fame (Yusuke Suzumura)

Mr Ichiro Suzuki, Mr Hitoki Iwase, Mr Masayuki Kakefu and Mr Hiroya Tomizawa voted into the Japanese Baseball Hall of Fame on 16th January 2025. On this occasion, I remember some episodes concerning Mr Tomizawa to celebrate his enrollment.

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