「味を占める」ということ
「昔はああだったのに、今はこうなって」というとき、「こうなって」には肯定的な評価が入る場合と否定的な意見が当てはまる場合とがあります。
前者の場合は、例えば以前は傍若無人であった人が、今では良識と分別のある姿へと変貌した際に用いられます。
また、後者の事例はその反対で、かつては人格者と思われていた人が今では周囲の顰蹙を買う言動ばかりするといった場合が該当します。
いずれの事例も、その人が備えていた性質が月日の経過によって顕わになったのか、あるいは何らかの事情によって以前の姿と変わることになったことが推察されます。
そして、後者の場合、ある日突然変化が生じるというわけではなく、最初は「こうしたらどうだろうか」と今までの自分とは異なることを恐る恐る行い、もし大きな反発があれば元の姿に戻るものの、反響が少なければ徐々に周囲の顰蹙する言動の程度が増してゆくことになります。
このような過程は「味を占める」ということに他ならず、結果としてより刺激の強い味を求めて大胆な行動をとるようになるのです。
ここで重要なのは最初は恐る恐る行っているという点で、この時点ではまだ「味を占める」前であるため、行きつつある道を引き返すことも不可能ではありません。
しかし、実際に今の場所に踏みとどまることは難しく、しばしば周囲の期待や評価を裏切る事態へと至るのです。
このように考えるなら、「味を占める」という現象は、実に恐るべき力を持っていると言えるでしょう。
以前と全く違う、悪い方向へと変貌した人を見る際には、ぜひとも思い出したい機序です。
<Executive Summary>
Why Did They Get a Taste for the Evil? (Yusuke Suzumura)
In some cases, there are individuals whose attitude changed fundamentally in a bad direction. On this occasion, we examine a mechanism of such change with an activity to get a taste for the evil.
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