【評伝】リッキー・ヘンダーソン氏--球史を駆け抜け続けた盗塁王
現地時間の12月20日(金)、大リーグの通算最多盗塁記録を持つリッキー・ヘンダーソン氏が逝去しました。享年65歳でした。
大リーグ史上最多の通算1406盗塁は大リーグで唯一の4桁の盗塁でもあります。
このほかにも、1979年から2003年まで25年にわたる大リーグ生活で延べ4回、通算で14年間在籍したオークランド・アスレティックスをはじめとして合計9球団に所属し、2004年から2年間は独立リーグに参加して大リーグへの復帰を目指すなど、現役であり続けることに強い意欲を示したのもヘンダーソン氏でした。
そのような姿は、数多くの記録に結び付きました。
例えば、また、81回の先頭打者本塁打も大リーグ記録であり、これは81回にわたり相手投手の無安打無得点試合や完全試合の可能性を奪ったことになります。
あるいは、サンディエゴ・パドレス時代の1997年6月12日(木)には、この年から始まったインターリーグの試合の一つとしてアナハイム・エンゼルスと対戦し、1番指名打者で出場しました。そして、3回表にエンゼルスのマット・ペリショー投手から本塁打を放ったことで、ナショナル・リーグの選手として初めて公式戦で本塁打を打った指名打者となりました。
さらに、歴代最多の2295得点は、ヘンダーソン氏が長年にわたり大リーグで活躍し、出塁後に確実に本塁へと戻ってきたことを示すものであり、ヘンダーソン氏が盗塁数とともに誇りに思う記録であったことは当然のことといえるでしょう。
実際、1985年の146得点は、テッド・ウィリアムズが1949年に150得点を記録して以降初めてとなる140以上の得点であり、この点だけでも、ヘンダーソン氏が優れた選手であることを物語ります。
また、年間最多盗塁となる130盗塁を記録した1982年には同じく大リーグ最多となる42回の盗塁失敗を記録したことは、ヘンダーソン氏よりも瞬発力や脚力のある選手はいたものの、失敗を恐れない積極的な走塁によって偉大な成果を残し続けたことを象徴するものです・
一方、エリン・ステーツさんとのきめ細やかな交流からも分かるように、しばしば選手として自らの記録を追求する自己中心的な存在と思われていたヘンダーソン氏には、人間性の豊かな側面もありました。
そして、大リーグの通算最多奪三振となる5714奪三振を残した記録したノーラン・ライアン氏とは、史上唯一の1000個以上の盗塁と5000個以上の三振を記録した者同士の対戦となりました。
合計22回にわたり相対した二人は、17打数2安打5奪三振と、ライアン氏が優勢のうちに終わりました。しかも、ライアン氏の通算5000奪三振目の相手となったのがヘンダーソン氏であったことは、球史に輝く選手同士ならではの場面であったといえるでしょう。
1991年5月1日(水)にルー・ブロックの持つ通算盗塁938個を更新した際、「ルー・ブロックは偉大な盗塁の象徴でしが、今日、私は史上最高の盗塁王となりました」という一言が示すように、安打であれ四球であれ出塁する方法を絶えず探し続け、果敢に次の塁を目指し続けたヘンダーソン氏は、文字通り大リーグの歴史を4つの10年代にわたって駆け抜け続けた、瞬発力だけでなく持久力にも満ちた、他の追随を許さない選手だったのです。
<Executive Summary>
Critical Biography: Mr Rickey Henderson--The Player Who Run Quickly and Durably (Yusuke Suzumura)
Mr Rickey Henderson, a former player of the MLB including the Oakland Athletics and a Hall of Famer, had passed away at the age of 65 on 20th December 2024. On this occasion, we examine his life as a MLB player.