兵庫知事選挙の結果はわれわれに何を教えるか

昨日兵庫県知事選挙が投開票され、前職の斎藤元彦候補が2回目の当選を果たしました。

斎藤候補は今年9月にパワーハラスメント疑惑などを内部告発された問題で県議会から全会一致で不信任決議を受けて失職し、出直し選挙に臨み当選しました。

こうした経緯から、不信任決議を受けて失職した前職が当選することを疑問視する声もあります。

それでは、このような意見は適切なのでしょうか。

確かに、県議会が斎藤氏に対する不信任案を可決したのは事実です。

これは、斎藤氏に内部告発への対応の方法に問題があると考えるに十分な証拠があるとみなされたため、県議会が首長の業務執行の適切性を監視するという自らの役割に基づいて行った行為であり、この措置は妥当です。

また、斎藤氏が県議会を解散せずに辞職し、出直し選挙に立候補したことも適法であり、何らの瑕疵もありません。

しかも、有権者は脅迫されたり買収されたりして投票したのではなく、所定の手続きは遵守されました。

従って、選挙は適正に行われたものであり、選挙の結果は有権者の自由な判断に基づく投票に基づくのですから、その妥当性を問うことはできません。

そのため、もし今回の投票結果そのものを不適切とするのであれば、手続きの妥当性や適切性ではなく、知事在職中の言動や不信任決議案が可決されたという点を参照した、好悪の感情による判断であるということになります。

もとより、政治においては理念や政策以上に「好き」と「嫌い」という感情が大きな力を発揮します。

例えば、1956年12月に行われた自民党の総裁選挙において、保守合同に参加しなかったものの党内に強い影響力を持っていた吉田茂が側近であった佐藤栄作の実兄の岸信介を支持しなかったのは、岸陣営の中心が吉田が嫌いぬいた河野一郎であったためで、結果としてもう一人の側近であった池田勇人が対立候補の石橋湛山を支援し、当選の道を切り開いたのでした。

しかし、そうした現実の政治のあり方と選挙の正当性そのものとは異なる問題であり、両者を混同することは、兵庫県のよりよい発展を妨げることになりかねません。

誰にも開かれた議論は民主政治の根幹です。

そして、そのような議論の前提となるのは、議論の対象を取り巻く状況の理解が妥当であるか否かという点に他なりません。

あまりにも基本的と思われるかもしれないものの、こうしたことはしばしば見逃されがちなだけに、われわれは絶えず注意を払う必要があるのです。

<Executive Summary>
What Is the Meaning of the Hyogo Gubernatorial Election 2024? (Yusuke Suzumura)

The Hyogo Gubernatorial Election is held on 17th November 2024 and Candidate Motohiko Saito was elected. On this occasion, we examine the meaning of the result of the election, since Candidate Saito was voted non-confidence and it was the reelection for him.

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