「メーデー100年」で思い出すいくつかのこと
今日5月1日はメーデーです。
日本では1920(大正9)年に大日本労働総同盟友愛会が上野公園の袴腰広場から神田に向かって行進したのが最初で、今年は「メーデー100年」に当たります。
この時の様子を報じる新聞には「暗雲風を捲く上野に振へる最初の #労働祭 」や「十五団体の絶叫」といった講談調の記事が掲載され[1]、当時の熱気が伝わって来るかのようです。
2001年以降、最大の労働組合である日本労働組合総連合会(連合)が4月の最終土曜日や昭和の日の開催としているため、今では日本において「メーデー」と「5月1日」とは直接の結びつきを弱めつつあるといえるでしょう。
また、今年は新型コロナウイルス感染症の拡大もあり、「メーデー」はひそやかに行われたという印象です[2]。
ところで、私にとってメーデーということで思い出されるのが、1993年の事例です。
1993年5月1日(土)は18時から青山フィルハーモニー管弦楽団の第8回定期演奏会が行われるため、授業が終了した後に青フィルの部員は青山高校から会場である世田谷区民会館に向かいました。
当時は1992年9月から第2土曜日が休業となったため、第1土曜日である5月1日は授業日でした。そのため、私は教室で昼食として持参した弁当をいただいた後、12時55分頃に青山高校を出発しました。
ちょうどその時分は明治公園から代々木公園に向けて連合の組合員や家族が行進している頃でした。
1列に8人が並び、先頭は国道246号線を表参道方面に向かって進んでいるのに、最後尾は依然として明治公園に留まっているという具合であったのは、主催者の発表で15万人、警視庁の発表でも5万1千人が参加していたためでしょう[3]。
そして、私の目の前を通るのは連合兵庫で、宣伝車両からは「皆様、連合兵庫、連合兵庫でございます」という女性の声が流れていたものです。
1989年から4年連続で、連合と全国労働組合総連合(全労連)などの「反連合」の労働組合による「分裂メーデー」として行われていたこと[3]を含め、連合が結成されてから4年後の、連合が意気軒高な時期の思い出ではあります。
[1]暗雲風を捲く上野に振へる最初の労働祭. 東京朝日新聞, 1920年5月3日朝刊5面.
[2]動画で連帯呼び掛け. 日本経済新聞, 2020年4月30日朝刊22面.
[3]分裂メーデー、対照鮮明に. 日本経済新聞, 1993年5月1日夕刊1面.
<Executive Summary>
Miscellaneous Memories of May Day (Yusuke Suzumura)
The 1st May 2020 is the 100th Anniversary of Japanese May Day March held at Tokyo on 1st May 1920. On this occasion I remember miscellaneous memories of May Day.
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