オンライン座談会「オリパラとコロナの功罪:東京2020から北京2022へ」での発言の概要
去る10月7日(木)に行われ、私も登壇者として参加したオンライン座談会「オリパラとコロナの功罪:東京2020から北京2022へ」については、当日の様子を公開したYouTubeの映像を本欄でもご紹介しました[1]。
ところで、この座談会では「東京大会でのコロナの罪」、「東京大会でのコロナの罪」、「北京大会とコロナ」、「功罪の総括」が主たる話題として取り上げられました。
そこで、今回は私が座談会でお話しした内容のあらましを以下にご紹介します。
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1.東京大会でのコロナの罪
(1)目的のためには手段を選ばず大会が進められる。
(2)無責任の体質の露呈・不明確な意思決定の過程。
(3)選手のピークアウト・選手軽視の時程。
2.東京大会でのコロナの功
(1)国際オリンピック委員会(IOC)の金権的体質(放送権収入が全体収入の7割を占める)と収入を国際競技連盟(IF)に配分して各IFを金銭的に統制するあり方の暴露(有識者が長年にわたり指摘しても理解が進まなかった問題についての理解が深まる)。
(2)1年延期による開会式と閉会式の内容が雑多的になることで、かえって東京の現在の姿(多様で雑多に発展してきた都市)を明瞭に示す。
3.北京大会とコロナ
(1)国威発揚の手段、自国の優位性を示すための手段として用いられる北京大会。
4.功罪の総括
(1)オリンピック:肥大化した大会のあり方、「誰のための大会か」という開会式の実況中継での問いかけにどのように答えるか?ピーター・ユベロスがロサンゼルス五輪で目指した「金銭面での行政当局からの独立」という意味での「商業主義」の変質をどう捉えるか?
(2)パラリンピック:日本に限れば、スポーツ庁の発足によりパラリンピックが厚生労働省から移管。厚労省時代の「福利厚生の一環」から「競技重視」に移行。今後もこの体制が続くことでパラリンピックは障害者の中でどのように位置づけられうるか?
(3)スポーツの概念の拡張(ex.eスポーツの存在)をわれわれがどう捉えるか?
(4)社会の分断を避け、多様性をどのように確保するのか?
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それぞれの項目の詳細については、他の登壇者の皆さんのお話とともに、ぜひ映像でご確認ください。
*オンライン座談会「オリパラとコロナの功罪:東京2020から北京2022へ」
https://www.youtube.com/watch?v=d4OLWwvL_tE
[1]鈴村裕輔, 【映像公開案内】オンライン座談会「オリパラとコロナの功罪:東京2020から北京2022へ」. 2021年10月25日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/05c0d667626b18eb70e237f5c3611d8a?frame_id=435622 (2021年10月30日).
<Executive Summary>
My Comments at Online Roundtable Discussion "The Olympic and Paralympic Games and Their Merits and Demerits: From the Tokyo 2020 to the Beijing 2022" (Yusuke Suzumura)
An online roundtable discussion "The Olympic and Paralympic Games and Their Merits and Demerits: From the Tokyo 2020 to the Beijing 2022" is released on YouTube on 25th October 2021. In this occasion I introduce outlines of my comments.