真珠湾攻撃から83年目に考える歴史上の出来事に対する理解のあり方

本日、日本時間の1941(昭和16)年12月8日に日本軍がハワイの真珠湾を攻撃するとともに、米英に宣戦布告してから83年目を迎えました。

真珠湾攻撃が、日本においては歴史的な場面の一つとなっているのに対し、米国における位置づけは今も重要な出来事であるという点については、すでに本欄の指摘するところです[1]。

こうした状況は改まることはなく、少なくとも現在のところは日米両国間の理解の非対称さを形成したままです。

これは、一見すると奇異に思われるかも知れないものの、むしろ原子爆弾の投下に対する日米の態度の違いを参照すると理解しやすくなります。

すなわち、日本側にとって1945(昭和20)年8月6日の広島市、8月9日の長崎市への原子爆弾の投下は人類にとって未曽有の惨事であり、米国による人道への大きな罪とさえ言えるものです。

一方、米国の視点に立てば、日本本土を侵攻する際に生じたかもしれない米国の将兵の死傷を未然に防いだ、戦略的であるとともに戦時に在っては当然の措置ということになります。

そして、2つの出来事に対する両国の理解の相違が、しばしば双方の意見の対立に至るのも事実です。

それでは、このような事態を避けるにはどのようにすればよいのでしょうか。

様々な解決策があろうものの、その中の一つは、それぞれが自国の利害や立場から離れ、起きた事柄をそのままに理解するというものになります。

もちろん、このような態度は消極的であるかも知れませんし、容易なことと思われるかもしれません。

それでも、誰もが自らの属する集団の思考の枠組みから離れ、自分自身の視座を得るためには多大な労力を要することを考えるなら、一つひとつの取り組みを着実に行うことがなければより大きな変化を実現することが難しいことは明らかです。

その意味からも、われわれは多くの場合、意識すると否とにかかわらずわれわれを取り巻く環境の影響を受けながら対象を眺めていること、そしてそのような視座を克服するためには自らの視座のあり方に自覚的でならないことは、真珠湾攻撃を巡る日米の理解の差を埋めるためにも重要な態度となります。

あまりにも有名な歴史上の逸話と捉えるか、今もって忘れられない出来事とするかという点を乗り越えるためにわれわれが行うべき試みは、依然として多く残っているのです。

[1]鈴村裕輔, 「真珠湾攻撃80周年」はわれわれにとっていかなる意義を持つか. 2021年12月8日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/44dccb74637eef957fc11391e9b9f486?frame_id=435622 (2024年12月8日閲覧).

<Executive Summary>
What Is the Important Meaning of the Attack on Pearl Harbour for Us? (Yusuke Suzumura)

The 8th December, 2024 is the 83rd Anniversary of the Attack on Pearl Harbour occurred on 8th December 1941. On this occasion, we examine the meaning of the attack for us to have an exact viewpoint to overview the past history.

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