江沢民氏の訃報に接して思い出したいくつかのこと
昨日、中国の元国家主席である江沢民氏が逝去しました。享年96歳でした。
1989年の天安門事件に際し、民主化を求める運動に強硬に対応したことが最高指導者の鄧小平氏に評価され、失脚した趙紫陽氏に代わって党総書記に就任したこと、国家主席として1997年7月1日の英国による香港返還を平穏のうちに実現したこと、さらに国際社会との安定した関係の構築に努めたことなどは、広く知られるところです。
ところで、私の身の回りを眺めると、もとより江沢民氏との直接の関係はないものの、江氏に繋がるささやかなかかわりのあることが思い出されます。
意外なところでは、2011年から2017年まで2年ごとに中国吉林省の延辺大学で開催された中日韓朝言語文化比較研究国際シンポジウムに参加した折のことでした。
すなわち、延辺を訪問する際の定宿としていた延辺国際飯店の隣りに立つ白山大厦の敷地に建つ銘板に記された建物の名称は、江氏の揮毫によるものでした。
このシンポジウムを紹介してくれた友人に確認したところ、白山大厦は政府系のホテルであるため江沢民氏に記号を頼んだ結果であるとのことで、大変興味深く思ったものです。
また、政治的な権力基盤が強固ではなかった江氏は国民の愛国心を喚起することで自らの求心力を高めようとしました。
そのような中でいわゆる反日教育が行われたことは、周知の通りです。
私の友人の一人である中国人の日本研究者は、まさに江政権下の反日教育を受けて育った人でした。
この人は学校で「日本人は鬼である」と習ったものの、1990年代の日本が世界第2位の経済大国である一方で中国では経済発展の途上にあることに疑問を感じ、「何故、鬼の国が経済的に優れ、中国が日本の下風に立つのか」と考え、鬼の国の正体を見極めようと日本語を修得し、大学卒業後に留学生として来日したのでした。
その結果、実際に日本を見たこの方は、「鬼だ」と教えられていた日本人が中国の人々と同じ一人ひとりの人間であることを実感したといいます。
そして、その後は当初の目的とは違う意味で日本の正体を見極めうとし、日本の大学院で修士号と博士号を取得し、現在では篤実な日本研究者として活躍しています。
このように考えれば、江沢民政権による反日的な愛国教育は日中両国の相互理解を妨げる要因となったものの、日本研究に従事する人材の育成そのものが滞ることはなかったことを推察させます。
こうした点は、文化大革命の時期に10代後半となった人々の間で日本研究者の層が他の世代よりも比較的薄いことを考えれば、両者の間の相違は興味深いものであるとともに、現在30代から40代の中国人の日本研究者に優れた人材が多いという点も、ある教育政策の効果を考える上で何らかの手掛かりを与えるものと思われます。
以上が、江沢民氏の名前を聞くと思い出す、いくつかの出来事です。
<Executive Summary>
Miscellaneous Memories of Former Chinese Leader Jiang Zemin (Yusuke Suzumura)
Former Chinese Leader Jiang Zemin had passed away at the age of 96 on 30th November 2022. On this occasion I remember miscellaneous memories concerning with Mr. Jiang.