【追悼文】ハンク・アーロンさん--静かなるホームラン王ハンク・アーロン(2)
去る1月22日に元大リーグ選手のハンク・アーロンさんが逝去したことを受け、1月23日の本欄では1999年に出版された『古今東西ホームラン伝説』(日本スポーツ出版社)で私が担当sチア記事「静かなホームラン王ハンク・アーロン」の前半を紹介しました[1]。
今回は、記事の後半を紹介し、アーロンさんへの追悼といたします。
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アトランタへ移る
1966年、13年間のミルウォーキー時代を経て、チームはアトランタに本拠地を移す。アトランタのフルトンカウンティスタジアムは、ミルウォーキーとは打って変わって、打者優位の球場であった。本拠地移転後の最初の2年間、アーロンは、連続して本塁打王を獲得する。
その後もアーロンの打棒は球場との相性の良さを発揮して本塁打を量産、1968年には通算500号を放つ。そして、1970年5月17日には3000本安打に到達し、史上初の500本塁打、3000本安打の偉業を成し遂げる。
その瞬間、一人の初老の男性がフィールドに降りて、アーロンに近付いてきた。
これこそ、誰あろう「スタン・ザ・マン」と称えられた大打者、スタン・ミュージアルその人であった。1970年の時点で3000本安打を達成した選手たちの中で唯一の生存者であったミュージアルは、アーロンを心から祝福したのだった。
1974年のシーズン開幕戦、アーロンはシンシナティ・レッズのジャック・ビリンガム投手から通算714本目となる本塁打を放ち、ベーブ・ルースの持つ大リーグ記録に並ぶ。
そして4月8日。ロサンゼルス・ドジャースのアル・ダウニング投手から放った本塁打は、史上最も多くの本塁打を放った打者として、アーロンの名を歴史に刻み込んだ一本であった。
黒人選手である彼がルースの記録を破ることに対する脅迫、嫌がらせなどの圧力に耐えての新記録達成であった。
その後もアーロンは本塁打を打ち続ける。この年で21年間在籍したブレーブスから、1969年に結成され、1970年にはミルウォーキーに移転したブリュワーズを最後の活躍の場に決めたアーロン。
年齢からくる衰えはさすがに隠せなかったが、2年間で22本塁打を放ちその選手生活を終えた。23年の現役生活で積み上げた本塁打は、前人未到の755本であった。
本塁打は打撃の一部
大リーグ史上燦然と輝く755本塁打を放ったハンク・ハンマリン・アーロン。
だが、本塁打の数だけに注目することは、彼の本質を見誤ることになる。
彼にとっては、本塁打はその巧みな打撃の一部なのである。
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[1]鈴村裕輔, 【追悼文】ハンク・アーロンさん--静かなるホームラン王ハンク・アーロン(1). 2021年1月23日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/184e6a25f781446500f9e01520022c65?frame_id=435622 (2021年1月25日閲覧).
<Executive Summary>
Critical Biography: Mr. Hank Aaron, Hammerin' Hank Is a Great and Quiet Batter of the MLB (2) (Yusuke Suzumura)
Mr. Hank Aaron, a former player of the Major League Baseball including the Milwaukee Braves and a member of the National Baseball Hall of Fame, had passed away at the age of 86 on 22nd January 2021. Mr. Aaron who is often mentioned as a "Quiet Man" is one of the greatest batter in the history of the MLB.