樂直入さんの「私の履歴書」が示す「国際日本学の実践」

2020年2月期の日本経済新聞の連載「私の履歴書」を担当するのは、陶芸家で十五代樂吉左衞門の樂直入さんです。

昨日、第10回目の記事が掲載され、1973年に東京芸術大学を卒業した後にローマの芸術大学に留学した際の様子が回顧されています[1]。

「ローマでの2年間、私は西欧を肌で感じ、内なる日本をまさぐった。」という樂さんは、次のように述べています。

裏千家のローマ出張所を主宰する野尻命子師を訪ねた。彼女は伝道者だ。ローマでこつこつ茶の湯を広めた。稽古場に日本人は一人もいない。建築家や詩人や前衛音楽家、バチカンの神父。欧州各地から彼女の元に集った人たちは、日本人のように単に行儀作法を学ぶわけではない。彼らは自らの人生の中で茶の湯と出会った。いかに生きるかを己に問い、茶から何かをくみ取ろうとしていた。
音楽家は言う。「茶の湯は楽譜のない音楽だ。ほら、聞いてみろ。全てが最も新しい我々の音楽だ」。こうも言った。「茶は静かなバロックだ。湯の沸く音は通奏低音。茶を点てる茶筅の音、きぬ擦れの音、全てが美しく流れている」と。建築家は語った。「光と闇、物と空間の簡素さ。全ての関係が完璧に美しい」。余白の美を見たのだろうか。神父は神と人と物との関係に西洋と異なる世界観を見いだした。「日本人は単なる物に接する時も、神に接するが如く最大の敬意を払う。その心のありようはどこから来るのだろうか」。彼らにとって茶は音楽であり哲学、信仰であり、何より人生なのだ。


茶の湯から何かを学び取ろうとしていた欧州の人々は、茶の湯から時に楽譜に、時に建築に、あるいは時に霊的な要素を看取していたことが分かります。

このような姿は、茶の湯とは単に茶を飲むことではなく、美観的、倫理的、宗教的、衛生学的、経済学的、精神幾何学的なものであり、しかも東洋の民主主義を体現しているとした、岡倉覚三の指摘[2]を連想させるものです。

そして、こうした欧州の人々の様子に「私の目から鱗が落ちた」樂さんは、「まさに西欧の眼差しを通して、自分自身の日本的なるものに目覚めていった」と述懐します[1]。

ここで樂さんが指摘する「西欧の眼差しを通して、自分自身の日本的なるものに目覚め」るという態度は、「「自文化」をあえて「異文化」視すること」、すなわち「私たち自身の内からの視点を相対化し、自文化研究が陥りがちな視野狭窄からの脱却をはかろう」とする「異文化研究としての日本学」である国際日本学[3]の取り組みそのものに他なりません。

もちろん、文中に「国際日本学」という表現は出てきません。

しかし、現実の問題として国際日本学の目指すところを体験し、自らの経験を言語化して表現している点に、この回の樂さんの記事の妙味が存すると言えるでしょう。

[1]樂直入, ローマにて. 日本経済新聞, 2020年2月11日朝刊36面.
[2]Okakura, Kakuzo. The Book of Tea. New York: Fox, Duffield and Company, 1906, pp. 3-4.
[3]星野勉, 『21世紀COE国際日本学研究叢書6』刊行にあたって. 『日本学とは何か』, 法政大学国際日本学研究センター, 2007年, 3頁.

<Executive Summary>
Mr. Raku Jikinyu and Half His Life Seen from My Résumé (Yusuke Suzumura)

Mr. Raku Jikinyu, a potter and Raku Kichizaemon XV, writes My Résumé on the Nihon Keizai Shimbun from 1st to 29th February 2020.


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