【追悼文】四代目坂田藤十郎さんを巡るいくつかの思い出『元禄忠臣蔵』第2部の劇評
去る11月12日(木)、歌舞伎俳優で人間国宝の四代目坂田藤十郎さんが逝去しました。享年88歳でした。
二代目中村扇雀として1941年に初舞台を経験して以来、1990年の三代目中村鴈治郎を経て2005年に上方歌舞伎の大名跡である坂田藤十郎を231年ぶりに襲名したことは、広く知られるところです。
また、1953年に『曽根崎心中』の蘇演でお初を務めて高い人気を誇り、「扇雀飴」など、いわゆる「あやかり商品」が誕生したことも、昭和の生活史、文化史を彩る逸話です。
さて、私が坂田藤十郎さんの舞台を最後に鑑賞したのは2006年11月23日のことでした。
この時の会場は国立劇場で、演目は真山青果の『元禄忠臣蔵』の第二部でした。坂田藤十郎さんは主役の大石内蔵助を演じました。
鑑賞に際しての寸評は本欄でもご紹介しております[1]。
そこで、今回は坂田藤十郎さんの追善として、その折の劇評を以下に再掲いたします。
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国立劇場2006年11月歌舞伎公演『元禄忠臣蔵』第2部
鈴村裕輔
昨日は、12時より国立劇場で「国立劇場11月歌舞伎公演」を鑑賞しました。
出し物は先月に引き続き真山青果の『元禄忠臣蔵』で、今回は第二部が上演されました。
この日の見所は何といっても第二幕と第三幕の「御浜御殿綱豊卿」。綱豊卿を務めたのは中村梅玉です。
声音のすがすがしさと口跡の美しさは梅玉の魅力ですが、今回の綱豊卿はその意味でまさに当を得た人事。しかも、時に「退屈な大名稼業は子や孫には継がせたくないもの」と言い、時に「おれ」と自称する青果の綱豊がもつ一種独特な雰囲気を、卑に傾かず俗に流れずに演じあげたのは見事というほかありません。
一方、坂田藤十郎の大石内蔵助も、「主家再興」と「復讐」の板ばさみになりつつ「うき様」を演じ続けねばならない、という困難な状況を遺憾なく描き上げていました。
特に終幕の「三次浅野家中屋敷門外」では、指の先まで研ぎ澄まされた演技を披露し、単なる和事にとどまらない、藤十郎の懐の深さを示していました。
藤十郎と梅玉という二枚看板以外の演者も役を入念に練り上げていました。
中でも、大石主税と羽倉斎宮を務めた片岡愛之助は、性格も立場も異なる二つの役を違和感なく演じ上げ、久しぶりの東京で能力の確かさを改めて示しました。
技量と内容がともに充実し、観るものを捉えて離さない四幕十場でした。
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[1]鈴村裕輔, 国立劇場2006年11月歌舞伎公演『元禄忠臣蔵』第2部. 2006年11月23日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/aa71c408df12badb748f915f1e259272?frame_id=435622 (2020年11月15日閲覧).
<Executive Summary>
Miscellaneous Impressions of Mr. Sakata Tojuro IV (Yusuke Suzumura)
Mr. Sakata Tojuro IV, a Kabuki actor and a Living National Treasure, had passed away at the age of 88 on 12th November 2020. On this occasion I express miscellaneous impressions of Mr. Sakata Tojuro IV.
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