【4】Endless SHOCKに700回出演し続けた「落合佑介」というダンサーのお話
こんにちは。
落合佑介です!
この記事は僕がどうしてダンサーを選んだのか、今どんな価値観で皆さんにレッスンをしているのかなど、僕の人生全てを振り返りながら書いているnoteです。
今までの記事はこちらからどうぞ!
今までお話したことのないジャニーズ時代の過去もたくさん書いています。
ダンサーを目指している方、僕のことを知ってくださったばかりの方、いつも応援してくださる方、どなたでも楽しめる内容になっていると思います!
今回はタイトルにもある「Endless SHOCK」に僕が出られるようになるまでの大学生時代のお話をしていきたいと思います。
ひたすら筋トレ、そして筋トレ禁止令!?
前回の記事でも書きましたが、僕はたまたま出会ったダンスサークルのコーチが出演していた『Endless SHOCK』を見て絶対に出たい!!と思うようになりました。
漠然と「ダンサーになりたい」ではなく、「SHOCKに出たい」と思い、スイッチが再びオンになりました。
「明確な目標」ができたからですね笑
しかし僕は基礎をほぼ学んでいないので何をしたらいいか考え、思いついたのが筋トレでした。
とにかくやりまくろうと考え、腹筋を1日300回こなしていました。
それと同時にサークル活動も続けていて、大学の学園祭で踊ったりダンスコンテストに出たりもしていました。
SHOCKに出演するのであればサークルのレッスンだけでは足りるはずがありません。
あまりきっかけは覚えていないのですが、前述したコーチのレッスンにサークルとは別で自主的に行くようになったんです。
しかし、僕は自分なりの努力しまくった結果、筋トレをしすぎて体がガチガチになっていたんです笑
きちんとしたフォームもやり方もわからずストレッチをせず、筋トレだけやっていたので、コーチからは筋トレ禁止令が出て、ひたすらストレッチだけするようになりました。
当時のサークルのメンバーは僕が必死に舞台を目指す姿に触発されてみんなで頑張るようになっていきました。
僕は基礎こそやっていないものの、どのジャンルのダンスもなんとなく経験があったので自分は上手いと思っていたんです。
ところが、初めて行ったコーチのレッスンはスロージャズというジャンルで全く経験のない僕は全然覚えられず、踊れないという事件が起こりました笑
そのレッスン後、コーチのスタジオの発表会の初回リハの見学に来ないか?と言われ行きました。
そのまま僕も誘われて公演に出演することに。
同時にコーチのレッスンへ毎週通うようになりました。
毎週毎週、自分の粗探しをして何が悪いか聞きまくり、練習しまくる日々が始まります。
あまりにも毎週僕が自分の欠点を聞くのでコーチにも若干呆れられていました笑
そんな1回のレッスンで大きく何かが変わることはないですからね笑
でもそれくらい夢中だったし、本気だったんです。
今のレッスンにつながる「原体験」
そして同時期に所属するダンスサークルACEの公演にも出演するのですが…
ここで僕は大きな失敗をしてしまいます。
本番中、身体を酷使しすぎて全身が攣ってしまって動けなくなってしまったんです。
途中で《降板》です。
もちろん理由は脱水症状などたくさんありますが、1番の理由は「基礎」。
基礎を知らないから全て我流でやっていて、ペース配分もできない。
全部を全力でやってしまう、身体に力が入りすぎて抜き方を知らなかったんです。
コーチに「正しい身体の使い方を学んで、身体作りをしないとSHOCKを目指すのは無理だ」とはっきりと言われました。
2ヶ月約70公演。
数多くのナンバーを踊り、殺陣のシーンもあるSHOCKは舞台の中でもかなり身体を酷使するハードな舞台です。
ロングランのハードな公演でも負けない身体と使い方を手に入れなければなりません。
そこで基礎を学ぶ決意をし、新たにスイッチが入りました。
どんなに一生懸命にやっても身体作りができていないと舞台が台無しになってしまう可能性があることを学びました。
これは今僕が実際に開いているフィットネスレッスンに繋がっています。
なぜ僕が基礎・身体の使い方を大事にしてレッスンを行っているか、原点は僕自身の失敗だったんです。
様々な舞台で場数を踏みながら目標へと近づいていく日々
全身攣ってしまった事件の次の日から上京して初めてのダンサーとしてのお仕事に向けて稽古が始まりました。
angelaさんというアニソンアーティストの年末コンサートでした。
本番まで10日ほどと時間があまりない中、深夜までリハをして大学も行ってサークルにも行って…充実した時間でした。
そして僕が子供の頃、以来に踊れない気持ちを味わったスロージャズのナンバーの公演はその次の年の2月でした。
本番前にインフルエンザにかかりましたが、なんとか満足のいく出来の本番になり、僕はまた、目標まで一歩近づいたことを感じました。
なぜそこまでスロージャズに固執していたかというと、SHOCKに出るにはジャズダンスが必要。
その上でスロージャズを踊れるようになることが綺麗なラインを魅せたり、ストリートダンスしかやってこなかった自分にはない要素を最も鍛えられると教えられていたからです。
だからここで踊れないと絶対にSHOCKへ出演する夢は叶わないと思っていて、本気で頑張っていました。
大学2年生になってからもずっとコーチのレッスンに通い、サークルにも行く毎日を過ごしていました。
ここからは何件かダンサーとしての仕事もこなしていくようになります。
『うたのプリンスさまっ!』という大人気アニメのコンサートのバックダンサーや、恒例のangelaの年末コンサートなど、体力的にハードな舞台を何度か経験し、自分の糧にしていました。
3年生になる直前の春の公演では僕が初めて踊ったスロージャズナンバーが再演され出演しました。
僕の中では密かにリベンジだ!と燃えていました笑
その時は主役のポジションをもらって踊ることができました。
そのナンバーを客席から見ていた《S&D project》という団体で今お世話になっている星潤さんが死ぬほど褒めてくださり嬉しかったことを今でも鮮明に覚えています。
当時、潤さんとはまだ顔見知りくらいの関係性だったんですが、わざわざ声をかけてくださって「めっちゃよかったよ!!!!」と言われて、苦手意識のあったジャズに自信を持てるようになりました。
ついに夢の舞台へ
僕は大学3年生になってからはコーチの強化レッスンにも参加するようになっていったのですが、その頃から「ジャニーズダンス」と言われるのが嫌で力を入れすぎないように意識をして踊るようになっていました。
そして、川崎悦子先生というSHOCKの振付師の方のレッスンに行くことになったんです。(先生は有名な武富士ダンスの振付師です!)
ジャズダンスは大学生から始めたのでとても苦手意識があったのですが、レッスン後にSHOCKを目指していることを伝えると「あなたのレベルなら出られると思うよ!」と言われました。
僕はまさかと思い、「まだまだ全然です。」と返しました。
そしてその1〜2ヶ月後にオーディションがあり、先生の言葉通りオーディションに受かり出演が確定したんです。
僕の2番目の大きな夢が叶った瞬間でした。
SHOCKは当時、そんなに頻繁にオーディションが行われず、本来であればメンバー入れ替えのオーディションは2011年に行われる予定でした。
しかし、3.11に起きた地震の影響でオーディションが1年遅れ、その1年間で僕は自分のレベルを上げる時間ができ、オーディションに受かることができたんだと思います。
晴れて僕は憧れの舞台に出演することができるようになったのですが、出演が確定したらゴールではありません。
次回はSHOCK時代のお話をしていこうと思います!
僕の人生振り返りnoteはまだまだ続きます!
引き続き読んでいただけると嬉しいです。
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