【3】Endless SHOCKに700回出演し続けた「落合佑介」というダンサーのお話
こんにちは。
落合佑介です!
この記事は僕がどうしてダンサーを選んだのか、今どんな価値観で皆さんにレッスンをしているのかなど、僕の人生全てを振り返りながら書いているnoteです。
今回で3回目です。
前回まではダンスを習い始めるきっかけやジャニーズに入るまで、そして入ってからのお話を書いています。僕の人生の中で最も大事な時期だったといっても過言ではないので、まだ読んでいない方はぜひ、こちらから読んでくださいね。
さて、前回はジャニーズ時代のお話を中心にしていきました。
前回までの記事を読んでいた方は、目標を見つけてそれに向かって突き進んで夢を叶えて楽しそう!と思う方もいらっしゃるかもしれません。
でも僕も目標が見つからなくてなんとなくで毎日を過ごしていた時期があるんです。今日は僕の苦しかった日々についてお話していきます。
憧れを失ってしまった中高生時代
僕はジャニーズの舞台に立つことがなくなってからもダンスは続けていたんです。でも、中学2年生の頃からどんどん目標が見つからなくてモチベーションが下がってしまうようになりました。
なんとなくでダンスを続けていたけれど、きっぱりダンスをやめる選択肢は僕の頭の中にありませんでした。
ちょうどその頃に基礎を学ぶためにバレエを始めたんです。でもバレエはやったことがなかったし、それまではジャニーズに入るためにジャンルが全く違うダンスをずっと踊ってきていたので、バレエは正直あまり楽しくなかったんです。
そんな中、剥離骨折をしてしまい、完治まではバレエが踊れなくなってしまいました。そして治ってからはバレエではなくヒップホップの教室に通うようになりました。とはいえそれも週1でなんとなく通っていただけなのでそれまでの楽しい時間とは変わってなんとなくで続けていた記憶があります。
当時の僕はまさに火が消えかかっている蝋燭みたいな感じで、ふわふわとなんとなくダンスを続けていました。
今思えば、その原因は僕の1番の原動力である「憧れ」がなくなってきていたからだと思います。
小6までは周りと切磋琢磨して必死にダンスを頑張って、ジャニーズという目標もあり、目指すものが明確で何も迷う必要がなかったんです。
でも中学に入ってからはその仲間たちも皆部活をやるようになってダンスを1番には考えなくなりました。教室をやめる人もいました。
仲間がいなくなったことがとにかくメンタルに響きました。
逆に言えば仲間がいればどこまででも頑張れるタイプなんだと思います笑
当時の僕がなぜ周りと同じように部活に行かなかったのかというと、少し子供っぽい理由ですが、先輩後輩の関係が厳しくて嫌だったんです笑
上下関係はもちろん大事ですが、無駄に厳しくてよくわからないルールなどを守るのが嫌だったんです。
そして、ダンス以外かっこいいと思えるものがなかったのも大きな理由です。
その頃、愛知万博のステージで踊る機会があり、それに向けて練習したりもしていましたが、あまり鮮明な記憶としては残っていませんし、モチベーションが下がっててやる気が出ませんでした。
他のダンススタジオに行く選択肢も考えてみましたが、それまでの僕はずっとジャニーズだけを見据えて練習してきたので当然基礎をやったことがありません。自己流でなんとか食らいついていた感じです。
だから基礎を今更やろうとしても面白くない、さらには先生も上手くないと思ってしまうという、今思えばなんとも生意気な子供でした笑
顕著に現れる実力の差
そんななんとなくの日々の中、A-NATIONのオープニングアクトダンサー募集のオーディションを受けました。
名古屋で受かったのは自分だけ、更に同じスタジオで受かったのも自分だけでした。
A-NATIONのオープニングアクトは当時有名ダンサーの登竜門とも言われていて注目度の高い舞台でした。
周りが大人のダンサーばかりの中でその舞台に向けての稽古が始まりました。
そしてすぐに感じたのは基礎のない実力の差でした。
僕はずっとキッズダンサーとしてやってきて経験はあるし、度胸もあるはずなのに少し位置が後ろなんです。
僕は自分の中で唯一無二だと感じているダンスで基礎がないと見抜かれてしまい、自分で思ったような評価を得られなくなっていきました。
上京、そして2つ目の夢との出会い
なんとなくの日々の中、僕は東京の大学へ入学し、いよいよ名古屋から東京へ上京してきました。
大学へ行かない選択肢はありませんでした。
それを話すと、割といつも、なぜそのままプロを目指さなかったんですかと聞かれるのですが、僕は子供の頃からガチでやっている人しかプロになれないと思っていました。
適当にヒップホップをやっていたし、思うような評価も得られなくなってきているので自分はプロにはなれないと思っていたんです。
当時僕は将来普通の会社に入る気はなく、経営者、そして起業を目指していました。何をやりたいかは決まっていなかったのですが、とにかく起業をして経営者になりたいと漠然と考えていました。先が見えるのが嫌だったんです。今と違い転職が当たり前の時代じゃなかったので、未来が見えているのが嫌だったんです。
だからビジネスを学べる商学部を探して、明治の商学部へと入学しました。
でも大学でもダンスはやろうと思っていました。僕は元の性格がとても人見知りなので共通の話題がないと緊張してしまうんです。なので、ガチではなく友達を作るためにサークルは入って、レッスンは東京の有名なスタジオへ行こうと考えていました。
大学でさっそくダンスサークルを探し、チラシをもらったサークルに何回か体験に行きました。そのチラシの中にあったAceというサークルのコーチの経歴にSHOCKがあってすごいなと思って体験に行きました。
僕は正直飲み会メインな緩い感じが大学のサークルだと固定概念があったので、体験に行ってみて衝撃でした。体験なのに全く手を抜かず、ガチなレッスンでした。
案の定人見知りな僕は女の子との喋り方もわからず、男子の同級生とも仲良くなれなかったのですが、コーチとはダンス関連の共通の話題があったので一番仲良くなりました。
そのコーチとの出会いが僕に2回目の目標を与えてくれたんです。
その年の7月にSHOCKの公演があり、コーチが出演するというのでジャニーズに興味のあった僕はチケットをとっていただいて見に行来ました。
そこで衝撃を受け、観た瞬間にその舞台の上が僕の目標になりました。3時間40分めちゃくちゃ踊るんです。見応えがあって迫力満点で、とにかく楽しかったんです。
ダンサーになる、ではなくSHOCKに出ることを第二の目標に、僕の猪突猛進な奮闘が始まるのですが、それはまた次のお話。
僕の人生振り返りnoteはまだまだ続きます!
引き続き読んでいただけると嬉しいです。
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