【2】Endless SHOCKに700回出演し続けた「落合佑介」というダンサーのお話
こんばんは。
落合佑介です!
この記事は前回からの続きで、僕がどうしてダンサーを選んだのか、今どんな価値観で皆さんにレッスンをしているのかなど、僕の人生全てをお話ししているnoteです。
僕自身も自分のことながら、書いている中で新しい発見があったりします!
もし前回の記事をまだ読んでいない方がいらっしゃったら、こちらから読んでみてください。
【1】Endless SHOCKに700回出演し続けた「落合佑介」というダンサーのお話
今日は僕の最初の目標だった、ジャニーズ時代のお話をしていきます。
最初の夢!ジャニーズを目指すように
僕はもちろんジャニーズを自分から目指していましたが、母もジャニーズが大好きだったんです。
SMAPのコンサートには3歳の時から毎年欠かさず行っていて、そこからもらえる刺激がすごく大きかったです。
ジャニーズに入るためにコピーダンスもこなし、色々なジャンルを自己流で学ぶようになりました。
でも、僕の通うスクールは前述した通りイベント出演がとても多くて常に何かのリハをしている状態でしたから、基礎は皆無でした。
ただジャニーズの真似をしていたのとイベントに出演しまくっていたことで舞台上での魅せ方は自然と分かっていて、場慣れもしていました。
振り覚えも早くてジャニーズ時代もそこがアドバンテージになっていました。
また、スクールにたまに教えに来てくれる先生の中にTetsuさんという、当時すでに大晦日の紅白歌合戦に出演したりジャニーズの振り付けをやっている方がいて、その方にも教えてもらえたので、モチベーションを上げるにはとてもいい環境でした。
ジャニーズオーディションでの奇跡
実は小3の時にジャニーズにビデオを最初に送っているんです。
そのあと、5年生の時にもう一度送っているのですが、僕が入るきっかけになったのはなんと小3の時に送ったビデオ。
ジャニーズに先に入っていた先輩がジャニーさんと一緒にたまたま僕の送った映像を見ていて、「入れたほうがいいよ」と言ってくれたそうです。
晴れて6年生の時にオーディションに呼ばれたのですが、僕滅多に本番で振り付けを間違えたりしないのですが、その日は間違えてしまったんです。
審査後、2つのグループに分けられたのですが、僕だけ知らない男性に声をかけられて、突然もう1つのグループに移動をさせられ「なんだろう?」と思っていました。
すると僕がついさっきまでいたグループはなんとその場で帰宅させられました。
実はその知らない男性だったのがジャニーさん。
僕は審査員的には落とされるグループにいたのですが、ジャニーさんが拾ってくれたんです。
最初の夢を叶えたジャニーズ時代
小6の時にずっと夢だったジャニーズに入りました。
タッキー&翼のコンサートが最初のお仕事で、僕は身長が小さかったので1列目のセンターだったことをよく覚えています。
当時、Kis-My-Ft2の千賀健永くんと一緒に踊っていました。
また、ずっとダンススクールで憧れていた先輩にジャニーズの現場で再会して、憧れの人と同じ舞台に立てるんだと思えてすごく嬉しかったですね。
入ってからの生活は、名古屋のジャニーズJr.を使いたい日だけ呼ばれ、朝9時からリハーサルをしてそのままお昼の本番を迎える、という感じだったので、受験勉強との両立もできていました。
平日は学校や受験勉強、週末に呼ばれればコンサートに出演するというスケジュールでした。
でも本番のあった次の日はさすがに体力がキツくて学校を休んでしまうこともありました…。
もともとダンススタジオで場馴れしていたので呼ばれてすぐリハをして本番という、ほぼ練習時間がない中でもメンタルは保てていました。
ちょうどその頃、もっとジャニーズで活躍するチャンスを得るために中学受験と同時に上京という選択肢が出てきました。
ただ、家族全員で上京できるわけではなく、父だけ仕事のために名古屋に残る必要がありました。
親は自分のことは自分で決めなさい、というスタンスだったので1人で上京するか残るかを合格発表から入学金の支払い期限までの1週間で決めなくてはなりませんでした。
当時まだ小学生だった僕はすごく悩んだのですが、結局名古屋に残りました…
理由は、家族がバラバラになってしまうのが嫌だったのと、東京で必ず活躍できるか分からなかったからですね。
そのまま名古屋での活動を続けていたのですが、小さなことから僕のジャニーズでの活動は終了しました。
中1の終盤で引っ越しをしたのですが、当時、名古屋のジャニーズJr.はコンサートに呼ばれる時に家の電話にかかってきて詳細が伝えられました。
そのため、電話番号が変わることを伝えなくてはいけなかったのですが、ジャニーズの誰に連絡していいか分からなくて、なんと僕は直接ジャニーさんに電話をして番号が変わったことを伝えたんです。
お忙しいジャニーさんに言うべきではなくて、もっとマネージャーさんとかに話すべきだったのですが、当時の僕はなんとなくジャニーさんに言っておこうと思ったんです笑
結局、その番号をメモしてくれておらず、僕の新しい家にはコンサートの電話がかかってこなくなりました。
そのすぐ後に名古屋のジャニーズJr.は一旦解散したので、僕が出演していないコンサートは実質1回くらいだったそうです…。
さて、今日は僕の最初の目標だったジャニーズ時代のお話しをしてきたのですが、今回はこの辺にしておきます。
僕のダンス人生の中でも1,2を争うレベルでキラキラしていて、目標に向かってまっすぐ突き進んでいた時期でした。
目標があるとそこに向かってまっすぐに突き進んでいく性格なのは昔も今もあまり変わらないのですが笑、それが後に大きな失敗につながっていくんですよね。
それは次回でお話できればと思います。
その失敗が割と今の僕の皆さんにお伝えしているレッスンにも結びついているので、大事な<原体験>だったなと思っています。
僕は今でこそダンサーという舞台に立って人から見られるお仕事をしていますが、きっかけは本当に些細なことですし、はじめから何もかもが上手くいっていたわけではないんです。
むしろマイナスからのスタートでした。
今、もし何かにつまづいていたり、自分なんて、と思っている方に少しでもこのnoteが役立てばいいなと思います。
僕の人生振り返りnoteはまだまだ続きます!
引き続き読んでいただけると嬉しいです。
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