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【独占】1200年の謎がDNAで解明!空海が蒔いた「奇跡の木」が高野山麓で発見される
〜 400年前の接ぎ木の痕跡が照らす、古代の知恵と歴史のロマン 〜
■ 世界遺産・高野山で驚きの発見!
和歌山県紀美野町、高野山麓の静寂な森で、科学史に残る大発見 があった。
樹齢400年のカヤの木に、江戸時代初期に施された県内最古となる接ぎ木の痕跡が確認された のだ。
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カヤ(榧[4]、学名: Torreya nucifera) は、イチイ科カヤ属の常緑針葉樹である。山地に生える。材は最高級の碁盤、種子は食用油などの原料に利用される。
近畿大学生物理工学部の堀端章准教授 らの研究チームによるDNA解析によって、この木が人工的に繁殖させられてきた ことが判明し、
さらには 「空海が蒔いた木」 という伝説とも深い関連があることが明らかになった。
これは単なる科学的発見ではない—— 千年以上前の人々の知恵と信仰が、現代科学によって解明された瞬間 なのだ。
■ 空海が蒔いた木、DNAが証明!
弘法大師・空海が開いた密教の聖地 高野山 の旧領土のムラには、こんな伝説がある。
「弘法大師様(空海)が困窮した地域を想ってカヤの種を蒔き、その栽培を奨励した」
今回の研究では、史上初となるカヤのDNAレベルで集団解析を実施。
その結果、紀美野町のカヤの遺伝子が地区ごとに分かれている ことが判明。
さらに、実が大きくなる変種 ヒダリマキガヤ が 種によって広範囲に同時期に拡がった ことの科学的証拠も得られた。
研究チームは、空海が広めたのは 「より生産性の高いヒダリマキガヤ」 であり、
それが同時期に 高野山と繋がりの深い地域へと広まった のではないかと推測している。
つまり、1200年前に空海が蒔いた種の子孫が、今もなお生き続けている ということだ。
さらに驚くことに、樹齢500年から700年の大木が、寺や神社ではなく民家の敷地内の庭木?!のような状態で多数現存しているという。
700年といえば飛鳥時代で聖徳太子が活躍していた時代だ。
それから、約30世代を超えて現存するこの大木を守り続けた家が存在するということになる。まさしく世界文化遺産「高野山」を支えているのは、これらの家が永続的に存在し続けてきたからであることに間違いないだろう。
研究者は語る「この大木を守り続けてきた家も、今では廃屋になっている所も少なくない」
山里の生活は、文化の根っこを支え続け、まさしく生活遺産としての価値もあったのかもしれない。
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■ 接ぎ木技術で守られた「奇跡の木」
今回のDNA解析では、さらなる驚きの事実が浮かび上がった。
幹と根元から生えたひこばえ(新芽)の遺伝情報が異なっていた のだ。
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これは 接ぎ木技術 が用いられた明確な証拠。
研究者は「当時の人々が、より早く高品質な実を得るために、人工的にメスの枝を接ぎ木して増殖 させていた可能性が極めて高い。」と語る。
カヤの木は 雌雄異株(オス・メスが別の個体) のため、実をつけるメスを選んで育てるのが理想。
しかし、メスと判別するには 12年以上 かかる。
そこで、すでに実をつけるメスの枝を接ぎ木 することで、即座に実を収穫できるようにしたのだ。
また、カヤの実から採れる油は、食用や冬の灯明用に重宝され、年貢として高野山に納められていた ことが記録に残っている。
この木はまさに、空海の教えを受け継ぎ、人々の暮らしを支え続けた「奇跡の木」 だったのだ。
■ 空海の伝説が、科学で裏付けられた瞬間
今回の研究は、DNA解析という最先端技術が、初めてカヤに用いられた結果得られた。1200年の歴史を証明した画期的な事例 だ。
これまで伝説として語り継がれてきた 「空海が蒔いたカヤの木」 の存在が、
科学的な裏付けを得たことで、単なる逸話ではなく 歴史的事実としての可能性 が浮上した。
研究を主導した堀端准教授は、次のように語る。
「この研究を進めることで、平安時代より以前。具体的には縄文時代や弥生時代から続く人々の交流や生活の実態がさらに明らかになる可能性もある。」
高野山の森の奥深く、
千年以上の時を超えて生き続ける「空海の木」。
この発見は、今後の民俗学や生物学に 新たな研究の道を拓く ことになるだろう。