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ー日本書紀と古事記ー「天地の創造」

日本最古の歴史書、古事記と日本書紀。共に天地創造から始まります。編纂されたのは、ほぼ同じ時期ですが、そこには様々な類似や相違があります。それぞれの天地創造の描写について、比べてみましょう。


日本書紀の天地創造

古天地未剖、陰陽不分、渾沌如鶏子、溟涬而含牙。及其淸陽者、薄靡而爲天、重濁者、淹滯而爲地、精妙之合搏易、重濁之凝竭難。故天先成而地後定。然後、神聖生其中焉。故曰、開闢之初、洲壞浮漂、譬猶游魚之浮水上也。于時、天地之中生一物。狀如葦牙。便化爲神。號国常立尊。

日本書紀 神代上 第一段

意訳:昔、まだ天と地が分かれておらず、陰と陽にも分かれておらず、鶏の卵のように混沌とし、ほのかに兆しがありました。
その澄んで明るいものは、高く舞い上がり天となり、重く濁ったものは地となり、細かなものは集まりやすく、重く濁ったものは固まり難かった。なので、天が先に出来上がり、後に大地が出来ました。そうした後に、その中に神が生まれました。
それが故に、天と地が生まれたとき、国土は漂っており、それは魚が水に浮漂っているようでした。
その時、天地の中に一つのものが生まれました。葦の芽のようでした。それが国常立尊の神となりました。

一書曰、古国稚地稚之時、譬猶浮膏而漂蕩。

日本書紀 神代上 第一段

意訳:ある書によると、まだ国も地も出来上がっていない時、水に浮かぶ油のように漂っていた。

画像:freepik

古事記の天地創造

天地初めて發けし時、高天原に成りし神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神、この三柱の神は、みな獨神と成りまして、身を隱したまひき。
次に国稚く浮ける脂の如くして、海月なす漂えるとき、葦牙の如く萌え騰る物によりて、成りし神の名は宇摩志阿斯訶備比古遲神、次に天之常立神。この二柱の神もまた獨神と成りまして、身を隱したる。上の件の五柱の神は、別天つ神。

古事記 上つ巻

意訳:天と地が初めて分れた時に、天上界に現れた神の名は、天之御中主神。次に高御産巣日神、次に神産巣日神。この三柱の神は、みな独神で、その姿を現しませんでした。
まだ地上の世界は幼く、水に浮いている油のようで、クラゲのように漂っている時に、すると水辺の葦が芽吹くように現れたのが、宇摩志阿斯訶備比古遲神で、次いで天之常立神が現れました。この二柱も独神で、姿を現しませんでした。この五柱は「別天つ神」です。


創造の類似点

日本書紀、古事記と共に、混沌とした水中のような場所に国土が漂い、葦の芽が生えるように神が生まれます。

水中から万物創世は、日本人が海洋民族である事と、古代インドのラーマーヤナの「乳海攪拌」や、ヨーロッパや北アジアに見られる潜水型創造神話などに類似点を見ることが出来ます。

葦原

アシは、現在では「ヨシ」と呼びますが、これは「悪し」に通づるため言い換えられました。
古代の日本人は葦を特別視しており、葦は生活材料として使われ、また成長が早いことから生命力を表す象徴とされました。
地上界を「葦原中国」と呼んだのは、古事記に「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国(葦が豊かに生い茂り、穀物が永遠に実る国)」とあるように、「葦のように穀物が成長する豊な土地」としたからです。

天地創造の相違

天地創造に類似点が多いという事は、編纂者が違えども当時の日本人の共通認識だったのでしょうか。
旧約聖書神の「創世記」では、「神が第一日に光を創造し、第二日に空と水を創造し、第三日、第四日と続けて、第六日には人間を創造した」と、万物は神が創造しています。
近年、話題になっているユダヤ人が日本人のルーツという「日ユ同祖論」がありますが、「神有き」の聖書と、「神が生まれる」日本神話では相違点があるように思えます。

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