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なぜ、物事を複雑に考えすぎてしまうのか?

シンプルに考えればいいものを、わざわざ複雑にしてしまう場面をよく目にする。何かを分析するとき、課題を整理するとき、目標を設定するとき――本来はシンプルに解決できるはずのことを、やたらと細かく分解し、複雑に絡み合わせ、結局のところ本質を見失ってしまうケースだ。

もちろん、物事が本当に複雑に絡み合っていて、丁寧に紐解かないと前に進めないこともある。しかし、そうしたケースは実際には少数派ではないだろうか。むしろ、自分たちで勝手に「難しいこと」に仕立て上げてしまい、議論をこねくり回した挙げ句、結論が出せなくなるほうがよほど多い気がする。

「複雑にすること」が目的になっていないか?

特に、自分のゴールや目標を複雑に考えすぎることで、かえって前に進めなくなることがある。たとえば、「これを達成したい」と決めたものの、その目標を細分化しすぎた結果、実行する前から「こんなにたくさんの阻害要因がある」と感じてしまい、結局のところ「本当にやるべきなのか?」という議論にすり替わることがある。

本来、目標はシンプルであるべきだ。たどり着きたい地点を明確にし、そこに向かって動けばいい。それなのに、やたらとリスクや課題を並べ立て、「これをクリアしなければ成功とは言えない」と条件を増やしすぎた結果、最初の意志すら揺らいでしまう。

こうなってしまう原因のひとつは、「物事を複雑に考えることが知的である」という思い込みかもしれない。難しいことを整理し、細かい問題を一つひとつ解決していくのは、知的な作業に見えるし、慎重に進めているように思える。しかし、その結果として行動が止まり、決断が先延ばしになってしまっては本末転倒だ。

本質を見極める力が問われる

では、どうすればこの「複雑に考えすぎる罠」から抜け出せるのか。

ひとつの考え方として、「本当に考えるべきことは何か?」を問い直すことがある。
・ その問題は、細かく分析する必要があるのか?
・ ゴールに向かうために、最優先すべきことは何か?
・ いま悩んでいることは、本当に進むうえで障害になるのか?

こうした問いを立てることで、無駄な思考の迷路から抜け出せることが多い。

また、複雑に考えてしまう癖があるなら、「シンプルに行動してみる」ことも有効だ。考えすぎて動けないくらいなら、まずは手を動かしてみる。そうすれば、意外と大した問題ではなかったことに気づくかもしれないし、課題があるなら動きながら解決策を探せばいい。

シンプルに考え、シンプルに動く

考えること自体は大事だ。ただ、それが行動を止めるほどの複雑さになってしまうなら、一度立ち止まり、「これって、もっとシンプルに考えられないか?」と自問してみるべきだろう。

シンプルに考えることは、決して浅はかなことではない。むしろ、本当に大事なことだけにフォーカスするための、最も合理的な思考法なのではないだろうか。

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