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発言しないミーティングは辞退する
会議が終わった後、「結局、自分は何のためにこの場にいたのだろう」と思ったことはないだろうか。
ただ座って話を聞くだけのミーティングほど、時間を無駄にしていると感じる瞬間はない。なぜなら、それは「その場にいる意味がない」からだ。
なぜ発言しないミーティングが無意味なのか
多くの会議は「情報共有」という名目で開催されるが、実際には「その場にいること自体が目的化」しているケースが多い。
参加者がただ座って話を聞き、時折うなずくだけのミーティングなら、レポートやSlackのスレッドで十分だろう。発言しないまま終わる会議は、ただの“時間の浪費”でしかない。
もちろん、すべてのミーティングがディスカッション形式であるべきとは思わない。情報をインプットする場が必要なこともある。しかし、そもそも自分が意見を持つべき議題でないなら、ミーティングに参加する意味はあるのか?
誰もが意見を持たなくてはならないわけではないし、意見を求められない場にいるのなら、その時間をもっと生産的なことに使った方がいい。
「とりあえず参加」が評価される空気
しかし、現実的には「とりあえず参加すること」が良しとされる空気がある。
たとえ発言しなくても、ミーティングに参加していたこと自体が「仕事をしている」という評価につながり、むしろ合理的な判断として「とりあえず参加したほうがいい」と考える人も多い。
「会議に出席していない=関心がない」と見なされたり、「聞いていたほうが後でトラブルを避けられる」と判断されたりするからだ。
この文化は、「参加していない人」よりも「黙っていても参加している人」のほうが評価されやすいという、ある種の“無言のルール”を生んでいる。
結果的に、本来は必要のない人まで会議に呼ばれ、意見を求められることもないまま、ただ会議が膨れ上がっていく。
「発言しない=参加しない」が習慣になると
発言しないミーティングを辞退することを決めると、会議への向き合い方が変わる。
「自分がこの場で意見を持てるか?」を事前に考え、「何を議論するべきか?」を意識するようになるからだ。結果として、ミーティングの準備がしっかりできるし、会議の質自体が上がる。
また、ミーティングの“本質”を問い直す習慣も生まれる。「この議題、本当に会議が必要か?」「これはチャットや文書で済ませられないか?」と考えるようになる。
結果的に、無駄な会議が減り、チーム全体の生産性も上がる。
「発言しない人は会議に不要」なのか?
この考えに対して、「発言しない人でも、聞いて学ぶことはあるのでは?」という意見もあるかもしれない。
確かに、新しい情報をインプットする機会は重要だ。しかし、それが目的なら、会議の場である必要はない。
事後の議事録や、録画を見れば済む話だ。ミーティングの場は、意見を交わし、意思決定を行うためにある。聞くだけなら、時間を削減する方法はいくらでもある。
もちろん、新人や経験が浅いメンバーが、まずは状況を理解するために参加するケースはある。その場合も、「この会議にいることで、次に何をすべきかが明確になるか?」を基準にすると良い。
単なる“見学”で終わるなら、その場にいる必要はないし、むしろ他の業務に時間を使った方が成長につながるはずだ。
「とりあえず参加」をやめるだけで、仕事の効率は上がる
発言しないミーティングに出ないと決めるだけで、日々のスケジュールは大きく変わる。
不要な会議に時間を取られないことで、より重要な業務に集中できるし、実際に発言するミーティングに対しても、準備の密度が上がる。
もし「なんとなく招待された会議」に参加しているなら、一度考えてみてほしい。
「この会議で自分が何か発言できるか?」「この時間が本当に価値のあるものか?」
その答えが「NO」なら、遠慮せずに辞退すべきだ。ミーティングは“出席すること”に価値があるのではなく、“価値を生み出すこと”に意味がある。