「学校は何のために行くの?」
今日考えたことをつらつらと書こうと思います。
書きながら結論を考えるので、どんな風にまとまるかよければ読んでみてください。
今日、「ねぇ、なんで学校って行かないといけないの?」と小5の男の子に聞かれました。
普段受験勉強をしてると学校の問題が簡単で退屈だそうです。
受験生あるあるで、公立小学校の先生たちも本当にやりにくいだろうなといつも思います。
その子曰く、学校で教わることって塾でもう習ってるし行く意味ないじゃん、と。
学校って何のために行くの?という子供の定番の質問に、回答に困る大人は多いと思います。
集団生活を学ぶためよ
とか
社会での生き方を学ぶためよ
などそれっぽい回答が世の中には溢れてますが、大抵そういう回答は子供は納得しません。
なんかうまいこと言われた感じで終わったなぁ、と消化不良で終わるのが常かなと思います。
この手の疑問に対しては、うまい回答をする必要はないと思います。
回答としては学校の存在意義を語るのではなく、学校という義務教育制度が生まれた経緯をきちんと教えた方が、子供の思考を刺激して意味があると思います。
義務教育が生まれたのは、明治時代。
日本が西洋に侵略される危機に瀕し、欧米に追いつくための富国強兵という国家戦略のもとに生まれたのが、義務教育制度です。
私は社会も教えていることもあり、この歴史的背景はきちんと子供にも伝えます。キラキラした答えではないので抵抗のある大人もいるかもしれませんが、子供には常に事実を伝えるのが大人の義務でもあると思います。
事実、この回答の方が子供との議論も深まります。
この歴史経緯からわかるのは、「国が豊かになるためには、考える国民を育てないといけない」という真実です。
この点に関しては、ほとんどの子が「そうだよな」と納得します。
であるなら、重要なのは学校という建物ではなく、どんな子もよく学べる仕組み。
今の時代はYouTubeだけでも本当に無料で学べるのだから、今の時代の中での学び方はどんなものがあるか、学校というものがなくなったとしたら我々はどういう仕組みがあれば国民が学べるのか、子供たちもこれからの日本について考える話題になっていきます。
重要なのは、大人は子供に何か教えようとするのではなくて、子供とも本気で議論しようとすることかと。
そのために、フワフワしたキラキラ回答をしようとするのではなく、事実、真実を題材として与え続けるべきかと思います。
私自身子供時代を振り返っても、きれいな答えを言おうとする大人に嫌悪感を覚えてました。
それよりも、こちらを子供扱いせず、客観的事実を情報として与えてくれる大人をリスペクトしていました。
なんで学校ってあるの?みたいな、その存在意義について聞かれるような子供の質問に対しては、その誕生した経緯、史実を教えてから、その意義存在意義を一緒に議論した方が面白い時間になると思います。
ということで今回のブログの結論は、
子供には常に事実を伝えて、教えるのではなくて議論しよう!
と締めさせていただきます。