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(コラム)同調圧力

 28年前のある日。

 バンコクはいつも暑いが、その日は格別であった。確か湿度は80%近くあり気温は39度だった気がする。数日来、仕事は全くうまくいかず、気分転換に当時、世界の掃きだめと言われていたカオサンという街を徘徊していた。

 ニュースでも過去にないほどの暑さだとアナウンスされている日だ、熱中症予防のため何度か露店のフルーツを食べていたら、やはり一人で歩いていた大柄の黒人に声をかけられた。

「日本人だろ? 野茂が投げているぞ」

 なかば強引にMLBの中継しているレストラン(スポーツバーみたいな)に誘われた。トルネード投法で一躍アメリカを席巻し新人賞をとった年だ。

「ドジャースファンなんだ、野茂が来たから久しぶりに優勝するかもしれない」

 よほどのファンなのかテレビに見入ってそれ以後はほとんど話さないのは好都合だった。仕事は失敗続きで、あまり愉快な気分になれるはずもない。しかし、いつの間にか私もテレビに引き込まれていた。次々に三振を取る姿に少し誇らしくなっていった。

「どうだ、野茂は凄いだろう」

「あー、嬉しい日本人だしね」

「オリンピックじゃあるまいし、国籍は関係ない、ドジャースの一員の野茂は凄いだろ」

 彼は念を押すようにそう言った。

 人種差別が起因と思われる事件が一向になくならないアメリカにあって、この一言に私は、違和感とともに、妙な感動を覚え、いつまでも記憶に残っている。

 その後、外国人力士が、とかの批判的な記事を読むたびに、その時を思い出して落ち込んだものだ。

 このところエンゼルスの大谷翔平の歴史的活躍はあの時の野茂と同じように、アメリカの彼らは「メジャーリーガーの大谷」として応援している。

 28年前に私がバンコクで体験したように、世界のどこかで、アメリカ人のエンゼルスファンに「どうだ、うちの大谷は凄いだろう」と言われているかもしれない。その時、私と同じように面食らう人が人もいるだろう。

 世界中がこういう会話すれば平和だな、と思う。スポーツのいいところでもある。

 だけど、オリンピックは我が国のマスコミの煽り方には全く同意出来ない。いたずらにナショナリズムを煽り、感動を押し付ける。見ていると不安になる。ステレオタイプに、「戦前の翼賛報道」だとは言わない。

 私が不安なのは、同調を要求するかのような雰囲気がなんともおぞましいからだ。昨今、同調圧力という言葉がよく使われる。日本人のいやアジア人の特長だという解説をどこかで読んだ気がするが、そうだろうか、私は日頃のこうした雰囲気の連続がコロナ禍であったようなマスク警察などを生んだのではないかと思っている。

 もういい加減、成熟した国のメディアで合って欲しい。おそらく野球を、ましてMLBを知らない層が観ているであろう時間帯のニュースワイドショウで毎日大谷を取り上げないで欲しい。

 未来、「日本人が同じ方向を向くようになったのは大谷からだよね」と言われる日がこないように。ささやかな大谷ファンとしてそう思うのである。

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