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(小説)星の降る街 7

 だけど、私はどちらの宗教とも到底理解には及ばない。形や雰囲気は大きく違うが、根本が同じような気がしているので、両方とも信ずるに値するかもしれないとは考えられるが、日常生活からかけ離れているためか、教えを真剣に考えたことはない。似たところも含めて観光としては何度も行っているが宗教の必要性など知ろうとしなかった。
 なんとなくそんな話をした。
 笹井は意を得たように目を輝かせている。
「そうなんですよね、似ています。洋の東西を問わず社会が複雑になりストレスが心を蝕み始めたからなんじゃないかな。人は助けを求めているんですよね、心の救済。だから、始まりもおおよそ千年前というのも同じ時期になったのかもしれません。途中で何度もすたれているのまで一緒ですからね。でも行事や祭祀を比較することは止めましょう。それは僧籍にある人や神職の人が私たちの代行をしてくれているのですから、ただ祈り、感謝すればいいのではないでしょうか」
 お互いに少し真剣に話をしていると、せっかくの料理が冷めかけていた。
「食べてから話しましょう」
 と笹井に促された。スープにパンを浸して食べると口の中に海の香りが広がった。
「私はこのスープが大好きなんですよ。たぶん、ブイヨンをベースに白身の魚をミキサーにかけて、生クリームを入れたものなんでしょうが、自分で作ると全く駄目です」
 二人でしばらく舌鼓を打った。
 笹井は「巡礼路の大半は小さな村なので、ハムやチーズは大きなものの切り売りです。ナイフは欠かせません。日本のように個包装はありませんから、必ず持って行ってくださいね」と言って折りたたみのナイフとフランスパンを入れる袋を準備してくれていた。
「パンは袋に入れてリュックの横の網の部分に入れて下さい。パンを何も入れずに突き刺している人も多いですが流石に不衛生です。ナイフは巡礼が終わったら捨ててくださいね。帰りの空港であらぬ疑いを持たれますよ」
 と言って笑った。
 一時間余り、経験者ならではの、巡礼路の注意点などを教えてもらった。
食べ終えると、笹井は「確かにクリスチャンですが、あまりうまく巡礼の意味とか、本谷さんに理解してもらえないかも知れませんね。いい加減な信者かな。でもまだお話しますか」と遠慮がちに聞いて来た。
 私が「ぜひ」と言うと、タクシーを拾って、オペラ座からそう遠くないところの路地に入った。そこには「酒」と書かれた赤い提灯がぶら下がっていた。パリの石畳とモダンな建物群の街並みには随分不釣り合いの光景だ。
「私は日本から来た人が震災や福島原発事故の話にうんざりするのは分かっているんですが、マスターが岩手県の出身なんですよ。いろいろ話してあげてくれませんか。うっかり石巻に縁のある人が来るって言っちゃいまして。すいません」
 どうやら同じ話をこの先何度もしないと駄目なのだろう、と覚悟しないといけない羽目になった。それでも笹井の好意にお返しは必要だ。心配していた嚢症は悪化していないのか痛くないし、ホテルでも夢は見たものの、十分に眠れていて体調は悪くはない。こうして話していると有里のことを考えずに済む。
 おつまみを出してくれた後に七十歳くらいに見える白髪のマスターが遠慮がちに話しかけてきた。
「笹井さんから聞いたんですが、石巻にいらっしゃったんですよね。こちらでも報道されていますが。私は岩手県の陸前高田市の出身で、親戚などは小高いところなので家具が壊れたくらいで、人的には大きな被害もなかったですが、気仙沼と南三陸町の友人と未だに電話が繋がらないんです」
 マスターはお酒を注ぎ分けて、「震災の犠牲者に献杯」と言って一気にあおった。
「テレビや新聞報道以上のことは知らないのですが、私が何度か足を運んでいる石巻で、たまたま出会った人が、気仙沼に行ったけどあまりにも酷くて何も出来ずに帰って来たって言っていました。周辺の道路事情も相当悪いですね。私の恋人はたぶん石巻市内で津波にのまれました」
「それは悲しい出来事でしたね。酷な質問をしました」
マスターは申し訳なさそうにお辞儀をしている。
「実は昨日、車だけは発見されたと友人から連絡を受けたのですが、恋人は行方不明のままです」
 青森から千葉までの広範囲で二万人近くの死者行方不明者が出るという惨事だ、世界中にマスターのように友人や家族の誰かが震災の被害に遭っているという人がいるのかもしれない。
「爆発した福島第一原発の放射能はどういう影響がありますか」
 神妙な面持ちでマスターは重い口を開くように聞いて来た。
「難しい問題ですよね。今はよくても数年後かあるいは数十年後に影響が出るというものでしょうから。何も大した情報はなく、二ヵ月も過ぎているのに詳しいことは分かりません。避難している周辺の町村の人は先が見えないでしょうね。地震、津波だけでも史上に残る自然災害なのに原発事故が加わっていますからね。東京だって本当の意味で安全かどうかさえ確定的な答えはないですよね」
 私は有里のことと自分の病気で心に余裕がなく、原発の問題はどこか先送りして気にしないことにしていた。
「フランス人だけじゃなく、放射能汚染の話は巡礼路でもかなり質問されるのでしょうね。ヨーロッパでは問題意識をかなり持って日本からのニュースを見ていますから。この時期こちらに来る人は大変です。そう考えると日本人全員がなんらかの被害者ですね」
 マスターと笹井はそのことでよく話すのか、観光でフランスに来た知り合いもうんざりして帰国したなどと話し込んでいた。在外の邦人はしばらくこの状況なのだろう。
 店に入った時にいたパリ駐在の会社員という先客の三人も話の輪の中に入って、私の巡礼の話から、大宗教談義となった。
「一部かもしれないが、日本の仏教はいかん。死んだ後もお金次第だ。宗派によっては戒名、法名は値段別の付け方だし、戒名の位によってその後の法事の値段も違う。これでは死んでも死にきれんだろう。金持ちはいいかもしれんが」
 先客はかなり酔っているがその通りだと思った。同じ仏教でも東南アジアの南方仏教にはそのようなことはない。仏教が中国から日本に渡る際に道教の道号と混ざり合うように伝わり、やがて日本では位を示すものとなった。公家を含めて大名以上の高位の人がやっているうちは、矛盾は小さかったかもしれないが、庶民までが戒名を持つようになってからは、宗教ビジネスのようにしか思えないところもある。
 それは人を弔うとは言わない。時代によって変化してしかるべきだろう。普通の思考を持っていれば分かりそうなものだ。平等、差別を声高にいう現代でも、その風習が続いているのが不思議だ。葬儀一つとってもすべてお金が優先されている、と少なくも私はそう思う。人々の救済はそこには何も見えないし感じられない。
 有里は両親の葬儀をちゃんと出せなかったと随分苦しんでいた。それでも、小さな葬儀は執り行っている。質素だったと苦しんでいる有里を見て、僧職者はなんと言って有里を慰めたのだろうか。お金がないからと後々まで遺族が苦しみ続ける葬儀をして平気なのだろうか。少なくとも有里が心穏やかになれる説諭はして欲しかった。
 酔っ払いの談義は続いた。
「だいたい死んだらどうなるというのだ?」
 すっかり赤ら顔になった四十歳がらみの会社員はネクタイを外して振り回しながらそう叫んだ。
マスターだけは酔っていなかった。
「塵です。私たちは塵です。生命の元は宇宙の一物質です。それが融合、変化しながら人間になったわけですから、最後はやはり塵に戻るのでしょう。お金持ちも貧乏人も。あるいは牛や馬も鳥も。命の長さも関係ないんでしょうな。時間があるようでないようで、訳の分からない宇宙に還るのですから」
 客の料理を作りながらもマスターの口調は変わらなかった。その通りだと思った。たとえば、パリの街を見た私の感想と他の誰かでは全く違うことを言うかもしれない。今日の私の感慨は、明日は別物ということもある。しかし、同じパリだ。
 いろいろな宗教が世界には展開されているが、同じものを求めているのではないだろか。帰結するところは「神」だ。
「じゃあ、震災に遭われた人も同じだ、なるほど、なるほど。救済される、宇宙に還るということですね。同じように。そうですね」
 私は手を打った。じゃあ、癌で死ぬかもしれない私も同じだと言いそうになったが、雰囲気を壊しそうで口を閉じた。
 赤ら顔と飲んでいた、似たような年恰好の会社員の酔っ払いは言った。
「どういう宗教を信じていたかとか、信じていなかったとか、どこの国の人であるかとか男とか女とか関係ないですよねーだ」
マスターは大きく頷いた。
「儀式のありようではなくて、死だけは平等だからね。命は等しくいたわり合いたいし。人によっては讃美歌やお経が神聖な気持ちにさせてくれるけど、意味が分からないところもいっぱいですよね。それなら小鳥のさえずりでも同じではないでしょうか。同じ命の声ですから。そうだ、さえずりを讃美歌にしてもいい」
 笹井も酔っぱらって大きな声を出してそう言った。
「そうだ、そうだ」
 ほかの客も口をそろえる。
「笹井さんは映画で観たアッシジの聖フランチェスコの仕草みたいだな」
 私がそう言うと、笹井は嬉しそうな顔をした。
 宴は深夜まで続いた。名前も知らない先客やマスターと笹井で最後は肩を組んで三十年ほど前に流行った流行歌やフォークソングを何曲も歌った。いつの間にか私の巡礼が「実りあるものになりますように」と言って万歳三唱になってお開きとなった。とても巡礼には似つかわしくない締めだが、酔った頭には心地よかった。
 私は病気を忘れた。
「有里、みんなの声が聞こえたろうか。巡礼はもう始まっているようです。とても素敵な夜です」
 モンパルナス駅からのホテルまでの道すがら声に出して呟いた。


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