(小説)星の降る街 9
清子は三十七歳になっているがどこにも嫁いでないことや、敏正叔父さんが十五年前に亡くなっていることなどを簡単に紹介した。
「おまえ、ほかの人には配らんでええんか」
「他所は明日にする。もう寝始めてる家もあるし。マサ兄、うちゃあ結婚しようとおもっとる。そのことで相談があるんじゃ。平蔵兄も忠晴兄もすぐに怒るけえ、マサ兄が島に帰るの待っとった」
何年か前に、長期の海外旅行に一人で行くと言ったら、平蔵兄に酷く叱られたと聞いていた。同じように怒られると思ったのだろう。
「そりゃええ、目出度いじゃないか。でも兄貴達に怒られると思ったということは、難しい相手なんか」
私は、心なしか緊張している清子の雰囲気を和らげようと静かにそう聞いた。
「今、母ちゃんは叔母ちゃんに相談していると思う。相手はな、マサ兄の同級生の康介じゃ。マサ兄だけじゃなくて、八年間みんなに秘密で付きあっとる」
康介はずっと独身だし普通なら祝福してやりたいが、三十年来、腎臓病を患っている。定職には付いてはいないが、経済的な問題はない資産家だ。かといって、いつ病状が悪化するか分からない。島の同級生は五十人ほどいるが病気で亡くなる率が比較的高く、五十歳までに八人が病死していた。しかも清子とは歳の差もある。
身内の贔屓目で見ても清子は美人ではないが、愛想もよく誰にでも優しく接しているので、年頃の男だけではなく若い頃から年配の人にもよく好かれていた。見合いの話も多かったが、頑として受けなかった。私は二十代に恋愛していた男に酷い振られ方をしたと清子に聞いていたので、男嫌いになったのだろう、とばかり思っていた。合点はいったがどう返事していいのか悩んだ。
この話を聞きながら有里はどう思っているのだろうか。
私がどのようなアドバイスをするのかじっと見られている気がした。
「私、席をはずしましょうか」
有里は気を利かしたらしく、そう言った。
「おって欲しい。マサ兄と結婚するんじゃろ。マサが嫁を連れてきたってみんなそう言うとる。島中で大騒ぎじゃ。有里さんも、出来れば一緒に聞いてほしい。親戚になるんじゃろ」
どうやら清子は本気で相談に来たようだった。そう言われて頷きながら座り直した。その雰囲気が年上の親戚のような振る舞いに見え一瞬驚いた。
「康介の病状はどうなんじゃ」
私は反対せざるをえないと思った。友達だと思っている康介が内緒にしているのも腹立たしかった。しかし、清子にとっては人生の一大事だ、感情を抑えようと努力した。
「医者は薬をちゃんと飲んで静かにしていれば命がどうとかはないと言うとる。軽い仕事ならしてもええちゅうとる」
本当は、間髪を入れず反対したい気分だった。清子はまだ年齢的にも子供を産める。クミ叔母が清子を産んだ歳は確か三十八歳だった。私は中学三年生から高校を卒業するまで清子を風呂によく入れていた。清子は大人になるまで誰よりも私に懐いていた。そんな清子が不幸に飛び込んでいくなら反対しなければならない。
病気の康介では看病だけの生活になるのではないか、お互いが愛し合っていても困難な生活が容易に予測できる。いくら人がいない限界集落の白石島に住んでいても、女性に限って言えば、結婚相手ならすぐに見つかる。ここで安易に妥協して許すと、将来の清子が可哀相だ。
「そんなに好きか」
少し語気を強めて聞いた。
「好きじゃ、康介以外なら一生結婚せん。今は家庭教師の仕事もしとる」
私は清子だけにこういう辛い話をさせる康介が許せなくなっていた。
「島の子が全員来たとしても八人しかおらんじゃろ。そりゃあ商売じゃない。お前が食わすちゅうことか」
「何もせんより小さな塾や家庭教師でええ。それにうちが食わしてやったらいけんの?」
清子は次第に険しい顔になっている。それに余計に腹が立った。清子に言わせている康介を許せなくなっていた。
「なら康介を呼んで来い」
マッサ、と言って、さらに声の大きくなった私の袖を有里は引っ張った。
「怒るんなら呼んでこん。うちの味方はマサ兄だけじゃ思うとるのに」
清子は唇を噛み、涙を浮かべて睨んできた。
「康介はええ男じゃ、それはよう知っとる。だけど、だけどなあ」
その後を続けるのは辛かった。「早く死んでしまう」そう言うしかない。それは自分に向かっても有里に向かっても言っていることになる。清子は声を出して泣き始めた。
「好きな人と一緒になるって素敵じゃないかしら」
有里がそう言うと清子は泣きやんだ。
「マサ兄は、転ばぬ先の杖じゃ、とかいうん?」
清子は激しい性格だ、怒り始めたらなかなか後には引かないところがある。
「実はな、清子」
と言いかけたら、清子は遮った。
「マサ兄ごめん」
清子は下を向いたまま、まだ涙を零している。
「どうした、何がごめんじゃ」
私がそう言って顔を覗きこむと清子は手で涙を拭きとって話し始めた。
「あのな、マサ兄。夕方叔母ちゃんがうちに来て、うちのお母さんにマサ兄の肺癌の話をしながら泣いとった。病気のこと知ってる。うちはずるいけえ、今日なら、有里さんがいるなら賛成してもらえる、と思いきってお母さんに話した。利用してごめんな」
私は何も言えなくなった。しばらくの間、三人とも沈黙した。
「気にするな、八年間か、長かったのう。叔母ちゃんと話し合う。悪いようにはせん」
叔母も母と一緒にリビングに入って来た。早い時期に康介を岡山の大学病院に行かせて精密検査をさせ、その結果医師がしばらくは大丈夫というなら、という折衷案が出てきて、順調なら夏までには結婚させることになった。
清子の結婚問題は有里との関係を大きく変えようとしているのではないかと思った。私は、どこかで有里と別れる決心をしていた。どう考えても有里にいいことはないと容易に想像がつく。
その夜は眠くはならなかった。深夜、こっそりと家を抜け出して、高校生の頃によく行った赤い灯台のある防潮堤に向かった。今は沖にもう一本出来て灯台は沖堤に引っ越したが、石積みの防潮堤は昔のままだ。
「なんだか私も眠れない」
母の部屋で一緒に寝ていたはずの有里が付いて来ていた。「雅春が散歩にでも行くのかな。有里ちゃんも、そこにある半纏を着て行きなさい」、そう言われ出てきたようだ。
「日和山でも夜の海と星空をよく見たね」
私がそう言うと有里は笑い始めた。
「ねえマッサ、また嘘の神話を話してよ。ギリシャでも中国でも東南アジアでもどこの話でもいいよ。ただしロマンチックなのをね」
「嘘って、物語を作れってことかな」
私はなんとなく思い出していたがとぼけた。
「初めてのキス、覚えてる?」
星空を見上げながら有里は独りごとのように呟いている。
「中学二年生だったな、石巻から島に帰る頃だったね」
少し間をおいてそう答えた。
「マッサったら、オリオン座の北東に双子座がある。カップルで中天を見てその両方が見えたらキスをしてもいい、スペインの風習だ、とか言ってね。私がスペインを好きだからそんな話を作ったんだよね」
いくら中学生の時の話とはいえ、冷や汗が出るほど稚拙な誘い文句だ。冬の晴れ日はそう見えるに決まっている。どちらかだけが雲に隠れているなら、その方が稀有だ。
「私は必死で作り話をしているのは分かっていたけどね」
有里は肩をすくめて笑った。
「中国ではね、三つ星のオリオン座は「参」、さそり座は「商」って呼ぶんだ。どちらかが中天にあるときはどちらかが見えない。反対にあるからね。だから気が合わない間柄とか仲が悪い二人とか会えない二人とのことを参商の如しっていうんだよ」
私は清子の話の流れで、有里が感情を高めていることに少し警戒した。命の残りが少ないかも知れない、有里にはこれまで以上に幸せであって欲しかった。私では駄目だ。
「もう色気のない話、ムードも何もないわね」
小さな声でそう言って唇を尖らせた。さらに「寒い」と言って腕を取ってきた。私は有里を抱き寄せてじっと星を見た。石巻の港から聞こえる波の音より、瀬戸内海のそれははるかに小さい。静かに優しく防潮堤に波は絡み付く。沖合を航行する貨物船のエンジンが絶えまなく鳴り響いている。その二つの音がより静寂さを際立たせ、星空を演出する。
「星を見ていると懐かしい気持ちになるね」
「地球の生命の故郷だからね。だから、死んだらお星様になるって言われるのは、的を得ているかもしれない」
私はまたムードを台無しにした。
「もうマッサったら死ぬことばっかり」
驚いたことに有里は大量の涙を流していた。私はいたたまれなくなった。どうしていいか分からず、有里の涙を手で拭いて、そっと唇を重ねた。有里は私の背中に腕をまわした。
少しだけ震えている。
癌の不安から、東京に帰っても仕事に集中出来なかった。
私は誘われるままに二月十九日、菅野が帰省するというので一緒に石巻に向かった。仙台駅に着くと、ホームまで阿部と有里が迎えに来てくれていた。有里はマフラーを巻き、厚手のコートに革手袋といういでたちだった。しかし手にしている携帯電話には私が岡山駅で買って渡した桃太郎のキャラクターが付いている。
「そんなストラップがこの歳になってもよく似合うな、有里には」
菅野が指さしながら、呆れたという風に有里の顔を覗き込んだ。
「成長がないからね。それにマッサが買ってくれたから」
有里は菅野に構わず、そう小声で言いながら少しはにかみ、私の荷物を強引に取り取り上げた。
「これだよ。もうマッサの嫁気取りだ。なんか今までの有里と違うな」
会うたびにゴルフ焼けですっかり昔の色白の顔を思い出せなくなった顔をほころばせた阿部も冷やかすが、有里は取り合わず一人で先を歩き始めた。確かに子供の頃から一貫して有里は私たちの後ろをついて歩いていた。「私は清子さんのストレートな性格好きだわ。これからは見習う」と帰りの新幹線の中で言っていた。実践しているのだろう。
有里はまっすぐに帰りたそうだったが、阿部が国分町で牛タン煮込みの美味しい店を発見したと自慢するので、昼食をその店で食べて石巻に向かった。三陸自動車道が出来て随分仙台市から近くなった。
石巻グランドホテルの予約を有里に頼んでおいたが、先にアイトピア通りの珈琲茶房に向かった。学生の頃、白石島に帰省せず、大抵は石巻の菅野か阿部のどちらかの家に滞在していた。その折に四人組でよくたむろする場所でもあった。
半年前の石巻小学校の同窓会の帰りにも立ち寄った。
「せっかくみんないるから」と言って阿部が、中学一年と二年生の担任だった佐々木先生を呼びだした。車で十五分ほど離れた渡波に住んでいたがすぐに駆けつけてくれた。佐々木先生は小太りで頭はすっかり薄くなっている。筋肉質でスポーツマンタイプだった若い頃からは全く想像できないほどだ。
この時から有里との付き合いの流れが変わった。
私はこの数年間、菅野が東京から石巻に帰省するたびに誘われ、時間が合えばついて行き、泊まらせてもらっていた。石巻に残っている有里や同級生たちとも中学生の頃のように活発に交流していた。しかし、あくまでも幼馴染と会う感覚だった。
お互いに結婚を意識して付き合っていた二十四歳の時、住んでいた東京・飯田橋のアパートに有里が来ているのにも関わらず、急な出張を優先して連絡もせずに三連休の三日間とも待たせたままにしてしまった。携帯電話がない時代だ。どうしようもなかった。
今考えれば、電報を打つとか、なんらかの方法はあったはずだ。そんな些細な努力もしなかった私は愛想をつかされたのだ。一方的に原因を作った方としては、いくらお互いに離婚しているからと言って積極的に交流を持ちかけるのは憚かられた。
「なあ、雅春、お前たちが別れたと聞いてすぐに見合いの話を有里に持っていったのは私だ。結果的にむごい結婚生活を有里にさせて申し訳ないと思っている。先方の親があんな情け知らずだったとはね。今、考えると若いお前たちが一回すれ違ったからと言っても、私が有里をたしなめるべきだった。すまん」
佐々木先生は深々と頭を下げた。
「先生止めてくださいよ。私と有里さんは縁がなかったというか、仕事に夢中すぎて、寂しい思いばかりさせたからです」
有里もすかさず、先生に何かしらの言葉が欲しかったが、下を向いたまま黙っていた。
「そこで私はもう一度有里の仲人をしたい。今度は幸せになってもらわんとな」
みんな驚いた。
「先生、何をおっしゃっているんですか、マッサと有里はこのところ結構仲良しですよ」
菅野が慌てて話の中に入ってきた。
「そうか、実はマッサと有里の仲人をしたいと思って言ったのだが」
佐々木先生は声を出して笑いながら、してやったりの風だった。有里は赤らめた顔にハンカチを当てていた。それが再度付き合い始める決定的なきっかけだった。
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