(小説)星の降る街 4
「島の巡礼か。それで癌を退治しなくちゃね」
「治るなんてね、まさか。ハイキングみたいなものかな」
「でも、島の人はみんな信じてお参りしていますよね」
そう信じようという有里の優しき念押しに思えた。
「そうだな、ご利益があるっていう人も結構いるよ」
「白石島の人間じゃない私にもご加護あるのかしら。でもマッサと一緒ならあるかもね。日程的に少しずれるかもしれないけど、追いかけてもいいでしょ。一緒に回らせてね」
帰省する前に電話でそんな話をしたが、具体的な約束はしなかったので、あくまでも話の流れだと思っていた。
「それは悪かったね。まさか本当に来るとは思っていなかったな。遠くから大変だったね。一緒に巡礼しよう」
私は両親に病気の話はしていない。有里が祈願のための巡礼と言わなければいいがと思っていたが、その辺りは承知しているのか全く触れなかった。
「おばちゃんから巡礼装束は一式お借りしました」
兄はまだ白衣を羽織っていない。
「雅春、掛井さんは石巻の同級生だったのは分かっているけど、ちゃんと紹介してくれないか」
兄もかなり混乱している。急な来客がいきなり掃除機を掛けていたら驚いて当然だ。私が女性を連れて来るとは思ってもいなかったのだろうし、何よりも誰かと付き合っていることなど話題にもしていない。
簡単に有里のことを説明しかけたら突然父が玄関まで出てきた。
「ヘルパーさんにお茶にしてもらってくれや」
母がどうやら台所で珈琲を淹れているのか香ばしい空気が漂い始めていた。母は二ヵ月前に大腿骨を骨折し一ヵ月ほど倉敷の病院に入院していた。ようやくリハビリを終えて歩行器や杖がなくても歩けるようになったばかりだ。熱湯を使う珈琲などを淹れていて危険ではないのか心配したが、農作業で体を鍛えているせいか昔と変わらない動きだった。
家の外では珍しくまとまった人が歩いているのか賑やかな声がしていた。朝一番の笠岡からの定期船が着いたのだ。リビングにみんなが座ると、突然、私と似たような顔の次兄が顔を出した。
「忠晴、お前今の定期船で帰ったのか」
母親がそう声をかけると、次兄はそれには答えず有里を見て、大げさに驚いていた。
「島で若い女性を見るとは思わんかったなあ」
「恥ずかしい、雅春さんと同い年ですよ」
有里は満面の笑みでそう答えた。
「俺よりも若いし、三十代にしか見えんぞ」
六十一歳になる次兄の顔は綻んでいる。
母の質問は無視して、ひたすら喜んでいるようだ。倉敷にある大手の鉄鋼メーカーに勤める次兄は女性というだけで過度の反応してしまう癖がある。若いころは『忠晴と握手したら妊娠する』と酒の席でよく言われていたが、私はそういう人間臭さを嫌いではなかった。しかも歳を重ねても陰ることもなくその頃の雰囲気を留めていた。
「お前は知らんのか、ヘルパーさんじゃ」
父は自分だけが知っていることを誇るように言い放った。
「雅春、お客さんをみんなに紹介してあげて」
まるで父がそこに存在しないという風に、母がそう言うと有里は立ち上がった。私は慌てて手で制して座らせた。
「お袋は覚えていないかな。石巻に住んでいた頃の、四軒隣の掛井さんところの有里さんだよ。お父さんがトラックの運転手をされていた。製紙会社で親父と合流してよく食事会もしたじゃない。信用金庫にお勤めだった尾形さんのお隣。お母さんが青果市場でパートをしていて、時々野菜もらっていたでしょ」
母に過去を思い起こさせるため、ゆっくりと話した。
「いやー、思い出した。掛井さんところの有里ちゃんか、分からなかった、ごめんな。石巻の人とはすっかりご無沙汰で」
父の容体が一時悪化して、会社に辞表を出して大急ぎで岡山の病院に運んだ。石巻日赤病院は治るまでと引きとめたようだが、当時、血を吐くほどの胃潰瘍は死と隣合わせだった。父が帰りたがったのも無理はない。まだ存命だった祖父母も帰らせたかったのだろう。かなり強引に医師を説得した、と後で聞いた。引っ越しも業者まかせだった記憶がある。私は中学二年生の三学期が終わるまで、担任の佐々木先生の家に一ヵ月ほどやっかいになったが、両親は誰にも挨拶は出来なかっただろう。佐々木先生へのお礼やら学校関係の手続きもすべて長兄がしたはずだった。
慌ただし過ぎて、私的に親しい人に白石島の住所すら教える暇もなかったのかもしれない。
「とんでもないです、私もご無沙汰ばかりで申し訳ありません」
母ははっきりと思い出したのだろう。穏やかな表情で有里に近づき手を取って懐かしんだ。急に親戚の人が登場したような親しみを込めていたが、誰か分からずに白衣を貸していたのには驚いた。若いころは慎重だった母とは思えなかった。
「いきなり押しかけて来てごめんなさい。今日お訪ねすることはマッサに何度もメールをしておいたのですが、このお家では携帯電話の電波が入らないのですね。突然になってしまいました」
有里は照れているだけなのか、早口でそう言うと、俯いた。若い頃から顔立ちや表情まで雰囲気は一貫している。全く変わっていないと言ってもいいくらいだ。細身で色白、化粧っ気がないせいか顔色はあまりよくない。『急に悲しくなる』とよくメールに書いてくるが、その状態ではないかと心配した。
しかも、自分の行動があまりにも非常識だと何回も詫びたので、儚げに映る。話すと華やかなのに、黙るとそう見えるのは、目が大きく彫の深い顔立ちだからだろう。有里は子供の頃から、大きな悩みや何か重大な決心をした時は、誰にも話すことなく口を力強くつむぐ。そうした時に無口になるので不機嫌に映り、よく誤解されていた。
長兄が有里に何か聞こうとしているのを遮ったのは父だった。
「お前たちは四国八十八ヵ所参りに行くんじゃないんか」
そう言うと母は突然大きな声を出した。
「あんたは黙まっとれ。有里ちゃんに家族の紹介が先じゃ」
大して怒る場面ではないが、父に罵声を浴びせるように文句を言うのがここ数年の母の姿だ。昔は全く逆だったが夫婦とは分からないものだ。
「お前らの母ちゃんはきょうといのう」
皆の顔を見渡した。
次兄がすかさず、呆れた顔で言い返した。
「父ちゃんの嫁じゃろー」
「いや、お前らの母ちゃんじゃ」
私は無視するように口を開いた。
「有里さん、きょうといは怖いことね。ここにいる全員はもうこれで分かったよね。親父は有里さんのことは分かっていないようだけど。これが家族、平蔵兄は岡山で義姉さんと住み、二人の娘は嫁いでいる。忠晴兄は倉敷で、三人の子供はそれぞれ方々に散っている。ちなみに忠晴兄の奥さんは私と同じ高校出身で、しかも同じクラスだった。だから姉さんと呼んだことは一度もないよ。以上かな」
有里は、
「はい。石巻でも東京でも話はよく伺っていましたので、とくに忠晴兄さんはその通りだったわ」
と言って声を上げて笑った。
私は有里が十五年前に子供を産まなかったという理由だけで離婚させられ、月の浦に住んでいた父方の祖父母を海難事故で一度に亡くしたり、十年近く寝たきりのお父さんの介護をした、という辛い出来事は省略して、簡単に石巻時代の話をした。簡単すぎる紹介でも容易に想像の付く、不幸であっただろう有里の過去には誰も何も質問はしなかった。普通なら詳しく聞いてくるだろうが、私の家族はこういう時は何も聞かない。あえて説明も求めない。
「二週間ほど前に雅春さんが白石島の四国八十八カ所を歩くと聞いたので、追いかけてきました。何が見えるのか楽しみです。両親の供養もちゃんと出来ていないので、それも兼ねて。いえ、ただ心の癒しを求めているだけかもしれないけど」
有里は静かにそう言った。「マッサのために私も歩きたい」とも電話で言っていたが、うまく話をすり替えてくれている。
「そんな上等なものはないし、お大師様とか仏様に期待するもんじゃなかろう。ただ、島の綺麗な空気を吸えばええ。自然と戯れる。それが再生への一歩じゃからな。人間は無理して生きとる。みんな必死じゃ。じゃから心の休憩が必要なんじゃ」
休みになると釣りに出かけている忠晴兄は、有里のこれまでの軌跡をすぐに想像できたのだろう、静かにゆっくりとそう言った。
「普段と違う環境はなんにしてもいいな。日常から離れれば離れるほどいいかもしれんな。海外旅行とかもいいな。そうか白石島も海外じゃな」
平蔵兄はそう言って笑顔のまま頷いた。
「八十八ヵ所参りは何回行っても偉くはならんなー」
父の一言に、母がまたしても怒声ぎみになった。
「誰が偉くなるためにお参りするというんじゃ。あほーじゃのう。あさってみたいなことばかり言うな。お参りは自分との対話。お大師さんとの対話じゃ。亡くなった人を思い、生きとる人の幸せを祈願する。ほんで自分の過去を振り返って、今を見て、明日を描く、それが巡礼じゃ。知らんのか」
母は教師が生徒に言い聞かせるようにぐるりと顔を回しながらそう言って胸を張った。半ば冗談で、誰かの形態模写なのだろう。
父はそれには構わず、またしても、
「お前らの母ちゃんは、やっぱりきょうといのう」
と言っていたずらした子供のように、飲み干したコーヒーカップを机の上に慌てて置き、元々ない背丈をさらにかがめて「きょうとい、きょうとい、ぼっこいきょうとい」と言いながら自分の部屋に引き揚げた。
ちょうどその時、父と入れ替わるようにハチジイがリビングに入ってきた。この島では、どこの家であろうが勝手に入るのは当たり前となっている。鍵を掛けるなどもってのほかだ。声を掛けても返事がなかったら家の中に入って、その家の住人に異変がないか確認するルールが出来あがっている。
「なんじゃ、みんな元気か。返事がないから泡くったがぁ」
ハチジイは本当に心配したのだろう。腰を伸ばし大きく深呼吸をした。
「ああ、話し込んで分からんかった。すまんのう」
母は恐縮しているのか二度、三度頭を下げた。
「雅春、お前いつ参るんじゃ、これから出てももう今日中には回り切れんじゃろ。二日間に分けるんか」
「急いでないし、明日でもええ。しばらく島におる」
ハチジイは母や父が元気なのに安心したのか、「まあええ。生きとりゃええ」と独りごちながら部屋から出て行った。玄関に黄色い旗を出していれば「元気にしている」という意味なので、ちゃんと出しておいたが、ハチジイにルールなどない。それでもこの共同体は親を残して島を出ている人間にとって「安心な無作法」だった。
「有里さんは今日回らんといけんのじゃないのか。そんなにも仕事を休めんじゃろ。遠くまで帰らにゃいけんだろうし」
次兄は優し気な声でそう言った。
「私は問題ありません。花屋さんとレストランでアルバイトはしていますが、定職はありません。今回もしっかりとお休みを貰っています」
「それならええ。まあマサに会いに来たんならそれでもええけど。熱いのー」
次兄がからかい気味に有里に体を向けてそう言った。
「もう、やっぱり忠晴兄さんは聞いてる通りの人ね」
有里は少し頬を膨らませて次兄を、どうみても笑顔にしか見えない顔で睨んだ。
「ええじゃないか、おまえらは独身同士の二人じゃ。ほんでも、せっかくじゃし、お参りは行った方がええのう。山から見る瀬戸内海は綺麗じゃ」
次兄は穏やかだった。
「はい、お参りします。でも旅館も連泊で予約していますから大丈夫です」
有里はサーバーに残っている珈琲をみんなに注ぎ分けながらそう言った。
「そりゃいけん。もったいない。うちに泊ればええじゃろ」
と言って母は有里が予約してあった旅館にキャンセルの電話を入れた。偶然にも親戚が経営しているところで話はすぐついた。
「それに今日は午後から雨が降りそうですね。天気予報はそうなっていました」
「朝から頭が痛いから雨じゃろう。日和掃除じゃ。お前らもおるじゃろ」
母は強制的に泊れと言わんばかりに語気を強めた。有里は知らないはずの言葉にも頷いている。低気圧や高い湿度などで体調を崩す気象病を島では『日和掃除』という。
帰る予定だったかもしれないが、二人の兄は頷いた。
振り返ってみると、両親と兄弟三人だけが集まるのは三十数年ぶりだ。平蔵兄が結婚してそれぞれに子供が出来てからは常に帰省と言えば賑やかな集合になっていた。有里はそれを微妙に感じて居心地が悪いのかもしれない。なんとなくそわそわしているように思えた。旅館に泊らせた方がいい。その方がストレスはたまらない。誰もがそう思っているはずなのに誰も何も言い出さない。